●エドワード・カーティス
風景と機具が見事に一体化している。 Edward S. Curtis
http://bit.ly/FBOCG
6:52 AM Aug 8th webから
●濱谷浩
濱谷浩, Spear fishing, Hokkaido, 1957 まるで槍が船のバランスを取っているように見えるがちがう。手と足と視界が別々の動きをしながら一体となっている。
http://twitpic.com/2cv4po 7:10 AM Aug 8th Twitpicから 7:10 AM Aug 8th Twitpicから
この写真の漁師の身体はドガを思い出す。ただ、ダンスと違い、安定した地平に立たず、舵、船、槍、箱眼鏡を媒介し、川の流れと浮力のバランスの中にある感じは、風景と道具の介入により身体の意識が複数化しながらも一体化している様だと言えるだろうか。 7:24 AM Aug 8th webから
濱谷の非常に有名な写真ですが、これはまさに宮沢賢治の世界。キックキックトントンキックキックトントン
http://twitpic.com/2d1rpy Mon Aug 9 16:32:10 2010 Twitpicから
●アンニーバレ・カラッチ
フクロウさんも物欲しげに見てる。水産物流通。
http://twitpic.com/2dkwr0 Wed Aug 11 12:34:11 2010 Twitpicから
●マルク・シャガール
“夕ぐれは聴耳をたてて 家のなかをうかがい 家のなかの人々はそっと外をうかがっている”という文章は、どこか初期シャガールを思い出させる。 1:45 PM Aug 12th webから
シャガールが固執した家と風景の関係(シャガールにとって家は内でもあるが外でもある)から、その一つとしてステンドグラスが導き出されるはわかるような気がする。 2:50 PM Aug 12th Keitai Webから
●キッペンベルガー
対話の形式。デザイン自体にはプライベートもパブリックもなく、すべてが公共性の中にあり、椅子と机が対話の関係性を作り出す。キッペンベルガー “The Happy End of Franz Kafka’s ‘Amerika’”
http://twitpic.com/2f0o6z 4:05 AM Aug 15th Twitpicから
カリカチュアルな作品だが、無人の劇としてはなかなか面白い。観戦用のベンチも対ってのがいい。子供のときにいろいろな椅子に座って遊ぶということは誰もすること。しかしどこがハッピーエンドなのかしら〜! 4:12 AM Aug 15th webから
すこしアップにしてもわかりにくいけれど、対になる椅子の組み合わせは、かなり笑えます。
http://twitpic.com/2f11if 4:49 AM Aug 15th Twitpicから
●スタン・ダグラス
まるで19世紀にトリップしたような風景。 Stan Douglas
http://bit.ly/bCnDap 2:54 PM Aug 15th webから
●フランツ・マルク
牽制と警戒。透明に描かれている端にいる鹿の弱さと中心の鹿の対比。警戒の意思とフォルムの問題。
http://twitpic.com/2fuby6 11:51 PM Aug 17th Twitpicから
フランツ・マルクが描く多くの眠りの作品は、弛緩がほとんどない。身を丸くし身を潜めるように寝る。眠り/休息が、疲れを癒す穏やかな状況であると同時に自分ではどうすることもできない状況に身を委ねるという弱さと結びつけられている。
http://twitpic.com/2fugtp Wed Aug 18 19:12:50 2010 Twitpicから
●小野竹喬
小野竹喬の《夏の五箇山》 まさに夏の山。暑さまでこちらに伝わってくるようだ。パースペクティブが瓦解するような均質で克明な描写は、一望的に見ることはできない時間の圧縮がなされている。それでも時間が分裂することなく強力に束ねられているのはこの強烈な緑の使用だ
http://twitpic.com/2g5jav Thu Aug 19 21:09:46 2010 Twitpicから
Andreas Gursky 《TOUR DE FRANCE T 》 こちらの緑もいい。
http://twitpic.com/2g5w2b Thu Aug 19 21:55:11 2010 Twitpicから