美術館の照明。
スポットの照明は特に、作品を浮き上がらせている。それは作品を良く見えるようすると同時に、そのものを作品としての存在をわれわれに知らせているのだ。
つまり照らすと同時に名指しているのだ。美術館において、作品を照らすことは、作品として名指すことでもある。
リアムギリックの作品で、スポットの照明を作品にしたものがある。
美術館の中に、スポットの装置が展示されている。しかし、そのスポットは床しか照らしてはいない。名指すものが不在なスポット。
そこでは、デザインされたスポットが作品なのか?、スポットされた不在の作品が作品なのか?、もしくはスポットの光が作品なのか?、スポットの装置自身とその影の関係が作品なのか?それとも観客が中に入り込み、まるで舞台装置のように観客が作品になってしまうということなのか?
美術館の中に紙が張られた額縁があるとする。その紙にはこのような言葉が書かれてある。
「作品は燃やされました。出されるはずの作品は、もうありません」
それは一つの作品としてのオブジェなのか、それとも美術館側の一つのメッセージなのか?
美術館の中でスポットとは何かを名指す(照らす)ためのものである。
しかしスポットは、オブジェになりえる。つまり自身が作品として成立可能なのだ。
そして美術館の中でスポットが当たっていれば、作品がなくてもそれは作品だと捉えられるほど、強いメッセージなのである。
これが作品なのかではなく、何処に作品があるのか?