レフ・アタマーノフ監督の『雪の女』(1957年)を観ましたが、非常に素晴しい作品でした。旧ソ連のアニメーションのなかでも最も高い評価を受けている作品の一つです。そんなに見れているわけではありませんが、イワン・イワノフ、ニハイル・ツェハノフスキーなど1950年代の旧ソ連のアニメーションは、ディズニーのアニメーションに劣ることのない素晴しいものですし、おそらく影響関係(競争関係)も強くあるでしょう。面白いのは、フランス、チェコ、ベルギーなどの国のアニメーションと比べても、アメリカ(ディズニーアニメを中心とした)と旧ソ連のアニメーションは志向するものが非常に似ています。日本では手塚治虫などがいますから、旧ソ連とは違った形でアメリカ的な傾向が強いように思えます。そんなに多くの(劇場)アニメーションを見ているわけではないので、もちろん例外はたくさんあるとは思いますが。
アメリカのアニメーションは、アニメーションの原理的な運動性に優れており、旧ソ連のアニメーションは絵本からの展開として物語表現の巧みさに優れているという違いは感じるのですが、時間・運動の滑らかさと色彩のフラットさがとても似ています。
またこのような豊かな土壌があるからそこイリヤ・カバコフのような作家も出てくるわけすし、逆に絵本の豊かな土壌があるからこそこういった優れたアニメーションが出てくるのでしょう。
『雪の女』はアンデルセンの童話を原作にしているのですが、形式化が徹底されているディズニーアニメなどでは描けないようなキャラクターたちの存在感には正直驚かされました。素朴な言い方ですが、あるキャラクターを描くということに対する愛情を強く感じました。なるほどこの作品が宮崎駿に影響を与えたこともよくわかります。
また、カラスなどの動きや吹雪の表現などは、リアリスム的なものを超えて大変魅力的でした。物質性が抑えられたフラットな色彩のアニメーションであっても、アニメの物質性が見事に結晶化されています。
一方で、福嶋亮大のブログ、
仮想算術の世界の「アニメの物質性」では、近年の日本のアニメーションおいてあるタイプの物質性が消失し、そのことで生まれる「擬似自然化」の傾向について書かれています。なるほどと思いました。
「雪の女王」
字幕はありませんし、途中の抜粋ですが、それでも楽しんでみることができると思います。