昨日の書いた文章を一つの前提にして、20世紀の作家たちの文章をいくつか紹介してみたいと思う。
20世紀の作家達は、マニフェストや、奇妙なコンセプトのリスト、ユーモアに溢れた文章などを発表したりしている。それはイズムなり前衛運動という言葉が成立していた時が主だが、コンセプチュアル・アートでもそのような意識が継承されている。
しかし、ここで取り上げる作家たちの宣言文や表明文などを、賞賛し崇め奉りたいわけではない。作家の表明が人畜無害なものであるはずもなく、多分にいかがわしさも含んでいる。作家たちもそのことを自覚しているからこそ、わざわざ表明をするのである。そういう一面を垣間見ること、その意味も含めてここでは紹介していきたいと思う。
また、このブログで簡単に写せる短い文章で、かつ自分の知っている範囲となるとかなり限界がある。そこのところはご了承いただきたい。
以下の文章は1943年の『ニューヨーク・タイムズ』の読者欄(読者欄っていうのがいいですね!)に、アドルフ・ゴットリーブ、マーク・ロスコ、バーネット・ニューマンが書いたマニフェスト的な文章だ。この文章は、同紙でゴットリーブとロスコの作品に対して、大きな困惑を感じると批評家に書かれたことへの応答として書かれたものだ。
1.われわれにとって芸術とは、危険を冒すことを恐れぬ者だけが探求することのできる未知の世界への冒険である。
2.この想像力の世界は気紛れな思いつきとは無縁であるが、暴力的に常識とは対立する。
3.芸術家としてのわれわれの役割は、観客に彼のやり方ではなく、われわれのやり方で世界を見るようにさせることである。
4.われわれは複雑な思考の単純な表現を好む。われわれは、それが曖昧でないものの迫力を有するがゆえに、大きな形象を良しとする。われわれはフラットな形態を支持する。それらはイリュージョンを破壊し、真理を顕わすからである。
5.画家の間では、何を描こうと良く描かれていればいい、という考え方が一般的に受け入れられている。これがアカデミズムの本質である。何ものについてでもない良き絵画などというものは存在しない。われわれは主題こそが肝心であり、価値を持つものは悲劇的で超時間的な主題であると主張する。われわれがプリミティブでアルカイックな芸術との精神的な近縁性を表明する根拠はそこにある。
参照文献
『抽象表現主義』TASCHEN(2006)
バーバラ・ヘス著