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投稿者:tattaka
あ、いえ。
むしろ、吉田さんのコメントの後に不明瞭な呟きを書いた僕の不明です。
最近、直接的な言い回しがうまくできません。気分としては書いた通りですが美術は諦めようが諦めまいが在るわけですしね。ただ確かに「美術」が遠いものに感じられてもいます。
投稿者:石川
てっきり僕の友達が書いたコメント勘違いしてしました。携帯電話で見ていたため。
TATTAKAさんのように他の分野でも美術の分野でも実践し続けてきた方に、ズレたことを言ってしまいました。
申し訳ありません〜。

投稿者:石川
美術というジャンルに落ちることなく、飛びつづけるのか。どこかしらのジャンル・制度に絶対含まれてしまうことを受け入れて内部変革のためにもがき続けるのか、いろいろな生き方があってしかるべきだと思います。しかし美術を今覆っている空虚さ、虚無感に対して断罪するだけではダメで、極めて具体的な実践・方法を伴わなければいけないと思うのです。美術から離脱して、それでも美術としか言いようのない行き場のないものを作っている人間はいかにして作家を続けていくのかが重要です。その結果が社会・歴史の想像力を推し広げてきたわけです。
というかその歴史こそ(いまだ発見されていないものも含めて)が美術なわけです。
これは勇気を持って離脱ではなく革命だと言っていいんですよね。ポストモダンであろうと想像力に変革は起きなきゃだめですからね。今こそその時期でもあるだというわけです。
投稿者:Tattaka
>美術制作をしている者にとって、美術の外野などという立ち位置などは存在しない

という項ですが、最近、自分はもはや美術から離脱しつつあるのではないかという畏れと不安、もしくは希望にも似た思いに捕われてます。
投稿者:吉田
自分の考えとも照らし合わせて読みました。
一番最後の引用文の事態、これは避けたいものだと思います。
投稿者:石川
ありがとうございます。うれしいです。
言葉に対してはいまだ僕自身も本当にしっくりくるものを見つけられていないですねぇ。
「孤立」というのは抵抗感を感じる人が多い言葉だと思いますが、田中康夫が言う『孤立を求めて、 連帯を恐れず』の「孤立」を意識して使っています。
投稿者:Tattaka
興味深く読みました。おそらくは言葉が違うのですが、考えてることとそう遠くない気がしました。
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