
John Marin
Movement in White, Umber, and Cobalt Green, 1950
oil paint on canvas
24 3/4 x 30 inches
ジョン・マリン(John Marin)は自然の風景だけではなく、躍動感とスピード感にあふれるニューヨークの風景を未来派と共有するような感覚をもって描いている。それらの対象は、水彩というメディウムがもっている直接的で、瞬発力のある特性によって最大限に活かされている。
この対象と技法の一致は、未来派における運動性との大きな違いだ。マリンが見出していたリズム・スピード感は、それまでのヨーロッパ絵画がもっているようなものとはまったく異質のもので、ポロックなどアクション・ペインティングの先駆といえるような、絵画制作における持続性をもっているところがある。そのために絵が破綻しているようなぎりぎりの作品もあるが、マリンの水彩画がアメリカ絵画における非常に重要な位置づけをなしていることはよく理解できる。
晩年の油絵はそれまでの水彩画と比べ静かな運動であり、より構築的で抽象的な画面になっている。マリンにおける水彩画と油絵、その二つのメディウムの振幅は、彼が意識し続けたセザンヌと共鳴しているだろう。
ロジャー・フライは、セザンヌが意図した二つのメディウムの振幅をレンブラントなどに類比させて語っているが、マリンの油彩はセザンヌより画面が乾いており、水彩が持っている瞬発力をよりラディカルにもちこんでいるように思える。
『Movement in White, Umber, and Cobalt Green』はマリンが亡くなる三年前に描かれた作品だ。長年対象として向き合ってきた海が、この作品ではかなり抽象的になっており、タイトルで示されているように画面は、色彩と線が作り出す運動へと還元されている。
波しぶきを思わせる白が強く前へおしでされているのとともに、ひし形は放物線を描いて画面の奥へと視線をいざなう。
またアンバーで描かれた波の動きと、黒い線によって分割された空は、同じような斜線で構成されているが、まったく異なる見え方をしている。波は遠近法的な奥行きと波のゆれを線的に作り出しているのに対し、空はセザンヌにおける青のように、色彩による空間の奥行きになっている。こう考えてみると波がアンバーで描かれていることと、海の透明度をちらりと見せるコバルト・グリーンは、きわめて意識的な選択だとわかる。
一見乱雑な画面と思われるこの作品は、線と色彩がそれぞれちがう運動を引き起こしながら、それらがみごとにかみ合わさって導き出される一体感となっている。それはまるで、マリンがアルフレッド・スティーグリッツなどともに体感したジャズのようだといえるかもしれない。