思い出というのは、今を構成するにあたって無駄なものはなにひとつなかった、といいきれたりもするけど、全部捨ててしまいたい、とも嘆いたりもできる。が、そんなことは無理で、現在生きる為には過去はぜったいつきまとうし、それ故に慎重に今ある選択しなければならないし、過去の自分のために未来を考える時だってある。それが正しいのか間違いなのか、そういうレベルの話ではなく、もし気に入らないのであれば、メッタギッテしまえばいいのだ。殺しちゃえばいいな。全員死ねばいい。
座頭市、みた。
この映画ではスローモーションが多用されている、その間人々はいったいなにを感じるのだろうか、過去か、現在か、あるいは、どこかの土地をひたすら歩き続けるのか。過去のある人達と、盲目のためになにも見ることができなかった人。思い出は現在をも揺るがし、物語りを構成している。
けっして美しい映画じゃないとおもう。人も風景も美しくとっていない。キタナイ町、戦争もない江戸時代。テレビの舞台セット、例えば水戸黄門のセットとあまりかわらない。唯一映画っぽいのは浅野忠信その人だけだったのだ。そういえば浅野忠信の敵役の殿様の前で闘った、浪人、すごくよかった。だれだかわからないんですが。
話を元にもどして。。北野武はみてる人を裏切るリズムをもってるとおもう。おもいだした。あ〜前回もこういうかんじしたなあって。とても説明的な箇所と、よくわからない箇所が混合していて、親切に、これは、こうなって、いまこういう状態で、、、てのをみせたかと思えば、いきなり何かを映したりする、しかもそのショットはだいたい長くて意味がわかりづらい。作家性?テレビ発の作家性をバカにしてるわけじゃなくて。
いや、私にとってはすごい映画だったんです。すげえ。っていっちゃったもん。最後のタップダンスに向かってフルスピードで高揚してゆく。おもしろかったです。
きょうの銀座はきもちよかったなー、たまにはいいもんだ!
石川君に、キルビルのコラムおもしろいって言われたから、調子こいて、また書いてしまいました。すみません。