ジョン・ウエインはすばらしい。同時にいつも危険な人物だ。あの魅力は間違いなく危険である。けれど、危険だといって見ないことにするのはもっと危険だと言えるかもしれない。
いくつかの西部劇ですばらしいのは、インディアンを絶対的な他者として描いているからだ。それらの作品の中では、熊に襲われることとインディアンに襲われることはあまり違いない。インディアンは、アメリカの厳しい自然と一体となって描かれている。だから、間違っても自分たちの倫理観などというもので、インディアンを悪者にしたり、うらんだりはしない。それがまるで自然の掟であるかのように。もしくはまったく違う神がいるということを受け入れているのかもしれない。だから西部劇は、戦争映画とはまったく異なるものである。
けれども、その考え方は危険だとも言えるだろう。おそらくジョン・フォードの考え方はほめられないところも多分にあったはずだ。インデアンを同じ人間として全くみていないからだ。ロバート・アルドリッチやドン・シーゲルなどはそういった古典西部劇の批判と展開から西部劇を撮り始めているんじゃないのだろうか。けれども、「黄色いリボン」などの他者の捉え方も現実的には一つの意味を作り出すかもしれない。と思ったりした。
それはさておき、カラーの西部劇は何であんなに色彩がきれいなんだろう。大地のオレンジ、空の青、夕焼けは紅、服は紺、馬は茶、そして黄色いリボン。
