昨日の日記に書いた守山湯元 水春には堅田駅から送迎バスで行ったのですが、堅田駅で少し時間があったので駅前をぶらつきました。駅前に「志賀廼家淡海顕彰碑」というのがありました。
志賀廼家淡海(しがのやたんかい)で「志賀」と「淡海」といえばいかにも滋賀県ですが、志賀廼家淡海は明治から昭和にかけて、曾我廼家五郎と人気を二分する喜劇役者でした。顕彰碑のある場所は旧滋賀県滋賀郡真野村ですが、生まれは隣の旧本堅田村になります。
左側に「舟をひきあげ 漁師はかえる あとに残るのは 櫓と櫂 浪の音 ヨイショコショー 浜の松風 」と刻まれた歌碑があるのですが、「淡海節」で志賀廼家淡海が作詞作曲したものです。
下には「ああおかし ただ笑わしの五十年 淡海ぶしが 残りゃせめても」と刻まれていたのですが、彼の辞世の句です。昭和31年(1956)巡業中に倒れ亡くなっています。
手前には寄贈と思われる「松竹新喜劇」と「藤山寛美」の文字がありました。藤山寛美は師匠が志賀廼家淡海の弟子であった二代目渋谷天外ですので、孫弟子になります。

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