9月の第4月曜日は祇園を下がったところにある「安井金毘羅宮」の櫛祭でした。
安井「金毘羅」宮ですから、御祭神は大物主なのですが、それ以外に崇徳天皇と源頼政が祀られています。崇徳天皇といえば、香川の坂出に行った時に崇徳天皇陵に行ったのですが、しんどかった思いしか残っていません。
社伝によれば、保元の乱(1156)に敗れて讃岐(香川県)で崩じた崇徳上皇の霊を慰めるため、建治年間(1275〜1277)に大円法師が建立した光明院観勝寺が当社の起こりといわれている。その後、観勝寺は応仁の乱の兵火により荒廃し、元禄8年(1695)太秦安井(右京区)にあった蓮華光院が当地に移建され、その鎮守として、崇徳天皇に加えて、讃岐金刀比羅宮より勧請した大物主神と源頼政を祀ったことから、安井の金比羅さんの名で知られるようになった。
本殿東の江馬館には、当社に奉納された大小様々な絵馬が陳列されており、江戸時代の画家山口素絢等の作品も含まれている。
また、境内にある「久志塚」は、古い櫛の供養のために築かれた塚で、毎年9月の第4月曜日に櫛祭が行われる。
行くのが少し遅かったので、到着した時は久志塚での櫛祭は終わっていました。この後、時代風俗行列があって、時代装束の女性が練り歩きます。出発のところを撮りまくりました。
お前は女性しか撮らないのかと言われそうですので、もう少し安井金毘羅宮の紹介をしたいと思います。「久志塚」は本殿の右側にあります。由来記によると
櫛に感謝の誠を捧げ、使い古したり傷んだりした櫛を供養する。第1回櫛まつりが昭和36年9月4日に、風俗研究家の故・吉川観方先生の御賛意を得て、当宮氏子で美容家の故・南ちゑ氏を中心とする多くの美容家によって始められました。更に翌年には当宮神域のここに「久志塚」が建立されました。
爾来、時代風俗の着付けと結髪の正しい伝承を目的として、京都美容文化クラブが設立され、櫛まつり実行委員会を置いて、久志塚の前で秋の花が供えられ櫛まつりが斎行され、時代風俗行列が行われています。当初は櫛の日にちなんで9月4日に開催されていましたが昭和50年より敬老の日(当時)の9月15日となり、現在9月の第4月曜日に行われています。
当日は久志塚の前の奉納された櫛を供え、宮司が祝詞を奏上し供養を行い、その後奉納舞や時代風俗解説に続いて、古墳時代から現代舞妓までの各時代の装束や衣装を着け、かつらを使わず地毛で結い上げた髪型をした、女人風俗行列が当宮を出発し祇園界隈を練り歩き、多くの参列者や観覧者で賑わいます。
久志塚の傍らの像は、彫刻家江里敏明氏による「吉川観方先生小直衣像」で、櫛まつりに幾多の御協力をいただきました報恩のあかしとして昭和54年9月15日に安置し、御功績を明記いたしております。
本殿左側にはこちらも有名な「縁切り縁結び碑」があります。
久志塚の左、本殿からは右に「八大力尊社」があります。廃寺になった蓮華光院の名残といえます。
久志塚の奥には赤い社殿があって、稲荷神社かと思うのですが「天満宮」です。天満宮の参道を挟んで向かい側に石鳥居があってこちらが「稲荷神社」です。ところで賽銭箱が2つ置かれていて稲荷神社の右にも祠があります。右側に回ると「厳嶋神社」という扁額があります。左側にも小さな祠が3宇あるのですが、何の神社かはわかりませんでした。

0