今日は土曜日でしたが、出勤でした。ネタが無くなってきたので、先週土曜日の旧洛陽工業高校での発掘調査現地説明会へ行った後の話です。
洛陽工業高校の東には昔、平安京の「西寺」がありました。羅城門を挟んで西に西寺、東に東寺がありました。東寺は現存していますが、西寺は現存していません。
現在、西寺跡には「唐橋西寺公園」があります。
公園には盛り上がった場所があります。説明の看板があって、
西寺は、平安京への遷都から間もない延暦15年(796)頃から、平安京の入り口にあたる羅城門の西側に、東側の東寺(教王護国寺)と対称に造営された官寺である。金堂、講堂(屋根には緑釉瓦が葺かれていた)を中心として南大門、中門、五重塔、僧坊、食堂などの建物が建ち並び、国家の寺として隆盛を誇っていた。
しかし、西寺は東寺に比べて早くから衰え、天福元年(1233)には塔も焼失し、以後は再興されることなく地中に埋もれてしまった。昭和34年以来も数多くの発掘調査が実施されて、建物跡やその屋根に葺かれた瓦、使われていた土器などが次々と発見され、この周辺の地下に平安時代の伽藍がほぼそのまま眠っていることが明らかになった。
かつての寺域は、東西2町(約250m)南北4町(約510m)に及び、僧坊・講堂・金堂・中門などの主要伽藍跡は、現在この説明板の建つ唐橋西寺公園(講堂跡が公園中央に土壇として残る)から、南の唐橋小学校にかけて見つかり、今も地下に保存されている。
これらは平安時代初期の寺院として貴重なだけでなく、東寺とともに平安京を復原する上でもたいへん重要な遺構である。この貴重な遺跡を後世に継承するため、近隣の住宅地においても、建て替え等の際には地下の遺跡を傷めないよう細心の注意が払われている。
先ほどの盛り上がった場所は講堂跡なのですね。上ってみましたが、上ったところに「史跡 西寺阯」とありました。

0