昨日の日記の続きです。
道明寺天満宮のうそかえ神事の後、時間があったので今まで行ったことの無い辺りをぶらつくことにしました。さほど広くない道を西へ歩きましたが、南側が羽曳野市、北側が藤井寺市でした。
左側に森のようなものが見えてきて、「応神天皇惠我藻伏崗陵」の宮内庁の制札がありました。第15代天皇の応神天皇陵ですが、大きさは第16代天皇の仁徳天皇陵に次いで2番目ですが、土盛の体積は仁徳天皇陵より大きいそうです。鳥居のある場所で工事をしているようでオッサン3人が作業をしていました。
応神天皇陵に沿って歩いていたら「誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)」というのがありました。応神天皇=八幡神である誉田別命ですから応神天皇が祀られているのかと思っていたら、主祭神は応神天皇でした。本殿の右側には「放生橋」という石橋があって、応神天皇陵に通じています。通常はフェンスで仕切られていますが、9月15日の秋季大祭では応神天皇の神霊が橋を渡って応神天皇陵まで渡御する神事が執り行われます。
本殿の左手前に「槐(えんじゅ)の木」がありました。昔、神功皇后がご出産される時、槐の木を刈り取って産屋を造られたところ御安産で応神天皇が誕生された故事から、「安産木」として安産のお守りとして信仰を集めています。
少し暗くなってきたのですが、近鉄古市駅から西へ歩くと「清寧天皇河内坂門原陵」がありました。清寧天皇は第22代天皇です。天皇陵は鳥居の場所まで行くのに参道を歩く場合が多いのですが、清寧天皇陵は道のすぐそばにあって、濠のすぐ外には家が立ち並んでいました。
古市駅に戻ろうとした時に、「白鳥陵古墳」がありました。天皇陵ではありませんが、近くの清寧天皇陵より大きそうです。白鳥陵は日本武尊の御陵ですが。知名度的には清寧天皇よりも日本武尊が上だと思います。日本武尊の父は第12代天皇の景行天皇、第13代天皇が弟の景行天皇、第14代天皇が子の仲哀天皇ですから本来なら天皇になっていたでしょう。
古市駅まで再度戻ったのですが、駅の東に「白鳥神社」がありました。御祭神はやはり日本武尊でした。
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