先ほど、3泊4日の東京から帰って来ました。
昨日はハンナリーズのプレシーズンゲームを見に足利へ行きました。足利に行ったのも初めてなら、東武の特急りょうもう号に乗ったのも初めてでした。
足利市駅に着きましたが、コンビニがあるだけで、大きな商業施設は見当たりませんでした。駅ビルの中にレンタサイクルがあって、体育館へは歩いて35分とのことなので、晴れていれば絶対に使っていたと思うのですが、本降りの雨であり、TIP OFFまで3時間ありましたので歩いて行くことにしました。
すぐ北側には渡良瀬川があります。雨が降っていたので勢いよく流れていました。渡良瀬川で思い出すのは日本初の公害事件と言われている「足尾銅山事件」で、明治天皇に直訴した田中正造は下流の今の佐野市の出身です。
体育館の方向へ歩いて行くと「足利学校」が近くにあるようなので、そちらの方向に向かいました。足利学校の入口である入徳門の手前でオバハンが味噌の試飲を進めてきました。ここは「銀丸本店」といい、「名人そば」というざるそばもあったので、昼食を取ることにしました。
足利学校は「日本最古の学校」と言われていますが、成り立ちについてははっきりしておらず、奈良時代の国学の遺制、平安時代の小野篁(おののたかむら)、鎌倉時代の足利義兼の3つの説があります。また、天文18年(1549年)にはフランシスコ・ザビエルが「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されています。足利学校は明治5年(1872年)に廃校になりましたが、平成2年(1990年)に復元され、昨年日本遺産に認定されました。入徳門を入ると受付でここからは有料となります。参観料は420円です。そこから「学校門」、「杏壇門」をくぐると「孔子廟」があります。寛文8年(1668年)徳川綱吉の時に造営されたもので、中国明時代の聖廟を模したものと伝えられています。
足利学校では儒学が教えられていたようで、至る所に孔子の像がありました。
あまり時間がないので、体育館に向かったのですが、足利学校の近くに「鑁阿寺(ばんなじ)」というのがありました。鑁阿寺は真言宗大日派の本山ですが、12世紀の半ばに足利氏の祖である源(足利)義康が足利氏の居館としたのが始まりで、建久7年(1197年)に二代目の足利義兼が持仏堂を建てたのが始まりとされています。本堂は義兼の子である義氏が建立しましたが、安貞3年(1229年)に焼失してしまい、足利尊氏の父である貞氏が正安元年(1299年)に再建したものです。一昨年国宝に指定されています。
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