日曜日、帰りに恵那から明知鉄道に乗って来ました。明知鉄道は昔は国鉄明知線で、その時に青春18きっぷで往復したことがありましたが、第三セクターの明知鉄道に乗ったのは初めてでした。
国鉄明知線に乗った時は往復しただけでしたが、今回は明智駅前をぶらつくことにしました。明智駅を含めた一帯は「日本大正村」です。同じ岐阜県の美濃加茂市には「日本昭和村」がありますが関係はありません。また、明知駅周辺一帯の町並みがが日本大正村であり、入口で入村料を払って入るものではありません。
歩いていると、「大正村資料館」がありました。明治の初め頃から、中馬街道、南北街道筋の交通が情報源となって農産物の収穫の少ないこの地に、養蚕を副業とする農家が増えました。正面3階の建物(銀行蔵)は、当地の選先覚者・橋本幸八郎氏の設立した濃明銀行(今の十六銀行)のもとで繭蔵として使われていました。
営業は午後5時までで、入場は4時半まででした。ギリギリ4時半より前だったので入ろうとするとやる気のなさそうなオバハンが「本来は3館共通で500円だけど、今はここだけの入館料で300円」とのことでした。300円払うと入口に「本日は大正百五年七月・・・」という表示があったので写真を撮ろうとするとオバハンが「明日の日付に変えていた」とのこと。戻ってくるまでに戻しておくということで中に入りました。
中には大正時代の民芸品、蓄音機、教科書、新聞などが展示されていました。隣の「大正の館」に行くことも出来ます。大正の館は明智町の名門橋本家の居宅で、初めは米穀商で、三代目は医院を開業していましたが、逝去により重要保存建物となっています。
その後は、開いているところに入ることにしました。向かいに明智郵便局があるのですが、その隣に古い建物がありました。昔の明智郵便局ですが、「逓信資料館」になっています。私が子供の時の郵便局は公衆電話の電話室があって、電報を申し込むのは郵便局だったという記憶がありますが、電話機や交換機、モールス通信の電鍵などが展示されていました。
「日本大正村役場」に入ってみました。ここは以前昔の明智町役場(今は合併して恵那市です)でした。日本大正村の「村長」は女優の竹下景子さんですが、竹下さんの写真や前村長の司葉子さんの写真が飾られていました。
5時を回ったので、駅前の他の施設に行きました。天照大神の八人の王子(王女三人・王子五人)を祀ってある「八王子神社」が明智町にもありました。境内には小さな社殿があるのですが、明智光秀が建立したと伝えられる「柿本人麻呂社」や「光秀手植えの楓」、神社の入口には「明智西宮恵比寿神社」というのもありました。
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