今日は中小企業総合展を見にインテックス大阪へ行きたかったのですが、疲れが取れないので断念しました。特に何も無いので、先日に石山へ行った時の話です。
以前、2か月強ほど働いていた時の会社の最寄駅は石山でした。石山駅の南口から歩いたのですが、北口へは一度も行ったことがなかったので歩いてみました。
北口にはルネサスの工場があるのですが、旧東海道が通っています。北口から膳所方面へ歩いて行くと「今井兼平の墓」がありました。
今井兼平は木曽義仲の乳母子でした。墓のある付近で寿永三年(1184年)に「粟津合戦」があったのですが、義仲が源頼朝軍に討死になると兼平も自害しました。兼平の墓は元は墨黒谷にあった粗末なものだったのですが、寛文元年(1661年)に膳所藩主の本多俊次により墓碑が建立され、寛文七年(1667年)にその息子の本多康将によって、今の地に移されました。
現在、大津市の史跡に指定されています。
一緒に亡くなった木曽義仲の墓は、旧東海道を膳所方面に歩いて行くと膳所駅の近くに「義仲寺」という寺があってそこに墓があるので、旧東海道を歩いて行こうかと思ったのですが、義仲寺には以前行ったことがあり、暑いので断念しました。
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