昨日、大津駅前をぶらつきました。京阪浜大津駅と上栄町の間にある県道103号の北に旧東海道があります。途中から一方通行の道で昔の雰囲気があります、そこに「此付近露国皇太子遭難之地」と書かれた石碑があります。ここは明治時代、大津事件が起こった場所でした。
大津事件ですが、明治24年(1891年)帝政ロシアのニコライ皇太子に津田三蔵巡査がサーベルで切りつけた事件ですが、当時ロシアは強大国で、日本は近代国家として発足したばかりで弱小国のために、日本政府は裁判官に天皇や皇族に対して危害を与えたものに適用すべき大逆罪によって死刑を類推適用するよう働きかけました。しかし、大逆罪は日本の皇族を想定したもので外国の皇族を想定したものではなく、裁判所は謀殺未遂罪を適用して無期徒刑(無期懲役)の判決を下しました。これが日本の三権分立を語る上で欠かすことの出来ない事件となっています。
さらに東へ歩くと、滋賀会館があります。
滋賀会館ですが、昭和29年に開館し映画館やホールがあったのですが、昨年9月で閉館になり今年度中の取り壊しが決まっています。すぐそばに滋賀県庁があるのですが、その本館3階にある記者室の前で写真展が開催されています。開館当初の写真や新聞記事が展示されていました。
県庁の西隣に「滋賀県体育文化館」がありました。
滋賀県体育文化館は昭和12年に「武徳殿」として建設されました。武徳殿は戦前大日本武徳会の本部道場として各地にありました。戦後GHQにより武道が一時期禁止になり、大日本武徳会も解散させられましたが、建物が残っているところもあります、京都の岡崎に「京都市武道センター」がありますが、そこも昔は武徳殿でした。
滋賀県体育文化館は中学の時、一度行ったことがありました。当時囲碁部に入っていて大会がこの場所であったので、3人が仲間のお父さんの車に乗って京都から向かいました。しかし、滋賀県庁の近くというのは地図で分かっているのですが、それらしき場所が無く迷ってしまいました。そして、運転していたお父さんが通行人に「体育館はどこですか?」と聞くと、通行人は「全然違う場所で浜の方へ行かないかん。」という返事でした。その方向に行ったのですが、私が「大津駅や県庁の近くなのにおかしいのじゃないですか。」と言ったので、県庁の近くまで車で戻ると「滋賀県体育文化館」という看板があり、ギリギリ遅刻せずに済みました。その時は「あのオッサン、デタラメな案内しやがって。」と言っていたのですが、大津にお住まいの方ならわかると思いますが、この通行人に責任はありません。
滋賀県体育文化館は老朽化や耐震上の問題などで平成21年1月末で閉館していて取り壊されずにそのままになっています。京都の武徳殿も保存されましたが、ここも保存してほしいと感じました。
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