大阪市長選挙は予想通り橋下氏の当選で終了しました。投票率は23.59%と大阪市長選挙では過去最低でした。しかし、政令指定都市でワースト1,2位は京都市です。さすがに京都市長選挙の投票率は下回ることはありませんでした。
京都市は70年代、舩橋求己市長時代は自民、社会、公明、民社、共産が推薦しており、オール与党でした。京都の銘菓になぞらえて「五色豆選挙」と言われていました。この時代に清掃局職員の採用に同和団体の関係者を採用する「選考採用」というのが始まり、後になって京都市環境局の不祥事問題が発生する原因になりましたが、オール与党ではチェック機能は働かなかったでしょうね。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/my10s4/mayor.htm
上記に過去の京都市長選挙の結果がありますが、最も低かった1979年の投票率は16.13%。立候補者は舩橋市長と幡新守也氏でした。幡新氏はグァム島の帰還兵だった横井庄一氏の義兄と言った方が通りが良いように感じます。
次に低かったのはその前の1975年の19.50%。この時の対立候補は泡沫候補で有名だった高田がん氏とマスダシン一氏でした。よく立候補するので、「高田」という名字のクラスメートに「がん」、「増田」という名字のクラスメートに「シン一」というあだ名がついたのを覚えています。
さすがにオール与党が続くと批判も出て、舩橋氏の病気辞任に伴う1981年選挙では自民、社会、公明、民社、共産、社民連の6党が推薦、支持した今川正彦氏が市議会に議席を持たない新自由クラブ推薦の候補にあわやというところまで追い込まれたこともありました。
高田がん氏で思い出すのは、恐喝罪で捕まった際に新聞に「高田がん(本名:巌)を逮捕した」と芸能人みたいな書かれ方だったのを思い出します。マスダシン一氏は舞鶴市の市長選や市議会議員選にも立候補していて最下位落選だったのと、政見放送で「天皇陛下は神様です」や「鳥濱 トメさんに国民栄誉賞を」や京都の選挙では「京都と舞鶴間に地下鉄を」という公約がありました。
政見放送をネットで探してみたのですが、高田がんは見当たりませんでしたが、マスダシン一はありました。やはり「天皇陛下は神様です」で始まっています。
https://www.youtube.com/watch?v=rVi_N-xr1t0
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