こんにちは!

ミノダのミノはタケカンムリ、簑田 弘大です!

簑田 弘大BLOGへようこそ!!

普段考えてることや思いついたことなど、かきつらねています。

また、コンサートやレッスン、作品リスト、試聴音源などの最新情報も公開されています。

どうぞお楽しみください!!


簑田 弘大 official site

簑田 弘大 Facebook

簑田 弘大 You Tube チャンネル

簑田 弘大 Twitter



2006/8/4

音楽と外国語  簑田弘大の音楽THEORY

音楽と外国語は似ていると思う。

今、ボクには留学生の友人がいる。まだ日本に来たばかりなので、日本語はあまり、というかまだほとんど話せない。英語はもちろん母国語なので話せる。故に、二人が話すのは、もちろんお互い母国語を話す友人と話すときよりも、意思疎通が困難だ。今はたいていボク自身の英語力にかかっている。

意思疎通ができないというのは想像以上に苦痛なもので、ボク自身以前にバングラデシュやタイにホームステイした時に身をもって体感している。

しかし不思議なものでそういう時こそ、意思疎通を図ろうとするせいか、話したくなる。それは、言語がままならないので意思疎通ができにくく苦痛だとわかっていながらわざわざその苦痛をうけようとする、ということだ。

今の状態が全くそうで、むこうはまだ来て間もないのでいろいろ聞きたいことがあるかもしれないが、ボク側としては、彼自身への興味、例えば国のこととか、家族のこととか、によって話しているだけで、追いつめられた必要性というのはない。しかし、普段の自分ではこんな話さないだろうという位話しているし、話したいと思う。自分が、あまり話すのが苦手で好きではないと自分自身のことを思っていたのを覆させられる程だ。

そこで普段の会話のことを考えてみると、今まで育ってきた日本では、日本語以外母国語や公用語がないし、教育レベルも高いので、言語で意思疎通がとれないということはほとんどない。しいていえば、つよい方言にたまにとまどうくらいだ。そんな状況の中なので、意思疎通という事に関してたいていの人は日本語によって事細かにすることができるし、そこから日本語の美的な部分も生まれてきたと思う。

しかしそれがだんだんと形式化したり、礼儀作法の一つになったりしてきて、本来の意志や感情を表さなくなり、共通の一つの言語しかもたない日本人は、それができなかった時、失礼になっていしまう場合も多い。

それが良いか悪いかを問いたいのではなく、前置きが長くなったが、音楽と外国語は似ていると思う。

音楽は言語の様に具体的でないので、音楽で意思疎通を計るというのは困難だ。しかし、具体的でなく意思疎通が難しいからこそ、よりどうすれば伝わるか、演奏者やパフォーマー側は意欲的になると思う。聞く側も同じように具体的でないからこそより理解しようと努める。

これは音楽にとても重要な要素だと思う。

音楽にも同じように、母国語の日本語がある。例えだが、初めて聞く曲に対して、何十回も聞いたことのある曲ややったことのある曲というのは内容をしっているだけに、理解するのが容易にできる。しかし、それが少しでも自分の感覚と違うと、日本語においての形式された言語や礼儀作法としての言語を怠って失礼と感じさせたように、変だと感じてしまう。

音楽に関してのこれは、個性や可能性を失ってしまうからあまり良くないと思う。

外国語を話しているときの、これはもしかして失礼な表現なのかな、とか、これは過剰な表現かな、とか相手の表情などをみて意思疎通するように、音楽も意思疎通あってこそ、そこに感動が生まれる。
逆に、演奏者側が過信して自分の感覚のみで演奏をしたら、それはなにも意味のない音楽だろう。

外国語と音楽、一見関係なさそうだが、意外なところで音楽の発見があったかもしれない。
0



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ