大学時代の写真部同期会幹事からお誘いを受け二つ返事で出席し、16人中6人が相集い旧交を温めた。折角の機会なので家内も同伴したが、流石に酒席への同席は憚られた。
同期会へは昨年8月に初めて参加したのだが、翌日に小学校の同期会を控えていたため蜻蛉返りし、今回こそは積年の夢を実現するべく同期会の前後にゆっくりと時間をとった。我が分身ともいうべき畝尾が心を込めて作った備前焼花器と大手まんぢゅうを携えて3人の友を訪ねた。
とりわけの眼目は、旧友T中に再会してこれまでの非礼を詫びることであった。T中は小欄「
2012/1/12 艱難辛苦汝を玉にす」に登場する親しい学友の一人である。私にとって、いわば命の恩人でもある。いま私があるのは一に彼のお陰である。卒業後40数年来、お互いに音信が途絶えているが、地元銀行を勤め上げたことは風の便りに聞いていた。いま一度再会して一言お礼とお詫びが言いたいとかねがね思っていた。
事前に電話で快諾を貰い真っ先にT中を訪ねた。初めは外で会うつもりでいたが、奥様に招き入れられ積もる話についつい1時間半も長居をしてしまった。
『私の大学の親友が岡山の有名な吉備だんご屋さんに嫁いでいる』と切り出され、奇しくも高校・大学が2年後輩のY脇と判明し、のっけから親近感が増し旧知の間柄のように会話が弾んだ。44年前、窮余の一策となったT中からの手紙を持参し、ご夫婦にみて頂いた。
T中は、在職中には母校の教壇に立つなど本来の職責外でも大活躍、退職後は夫婦であちこちを旅して回るなど悠々自適の生活、長女は幸せな家庭を築かれ、長男は趣味のダイビングが高じてインストラクターから
ダイバーズショップの店長を努めるなど32歳の独身貴族である。
別れ際にウッドデッキを自作したのがきっかけで、残った材料を有効活用して孫のために製作中の「ピタゴラスイッチ」を披露してくれた。
当方がお詫びがてら参上したにも拘らず過分のもてなしを受け、大洲の銘菓「大島羊羹」を託けてくださり恐縮至極。来月中旬には岡山へ一泊でゴルフツアーだというから、是非とも拙宅へ寄るよう誘ってT中家を後にした。

私を翻意させたT中からの44年前の手紙
2人目は写真部で1年後輩のI口で、彼の
陶磁工房を訪ねた。不躾にもアポなしの突然の訪問にもかかわらずロクロの手を止め丁重な応対を受けた。丁度お弟子さんが3人作業中だったので20分ほど話して早々にお暇した。自信作のトルコブルーの珈琲カップを私ども夫婦のために頂戴した。

I口手作りのペア珈琲カップ
3人目は一時期ESSで行動を共にしたO本。我が下宿の近くに彼の自宅があり、よく食事に招かれご馳走になった。ジンギスカン鍋の折には『羊肉を焼酎に浸すと特有の臭みがとれる』と教わりながら、勿体なくも自家製のリキュールを頂いたものだ。そのラベルには彼の好みで「白夜」と命名していたことなども忘れられない。人一倍舌が長く日本人の苦手な th[θ]の発音が得意だった。
家の佇まいは昔と同じで直ぐに分かった。お姉さんが表で水遣りをしておられ、事情を説明したところ、「主婦の友社」に就職以来ずっと東京住まいで、2008年に休刊した今でも関連会社に勤めているそうだ。今回唯一再会は果たせなかったが、名刺を差し出し、機会があれば彼に渡して欲しいと告げて別れた。
多感な青春時代を過ごした松山は、いわば心の故郷であり何年経っても忘れられなく、未だによく夢に出てくる。取り敢えずこれからは夢の中でT中と出会ってもお互い笑顔で話せそうだ。

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