今朝の山陽新聞にエッセイスト向田和子さんが「絵日記のころ」と題した一文を寄せている。氏は1冊で5年間の日記帳を使い、天気と6行の空間に『買った本、読んだ本、観劇の演目、作、演出、出演者。訪問者、氏名とあくまでメモ。消耗品以外は買った品と金額、外食は店名と満足度。ぼけ防止の一環で始めて、10年以上』とある。
そしてこの日記から遡り、自身の小学4年生の夏休みの絵日記にふれている。あと3、4日で始業式というころ真っ白な絵日記に、父親の不在を狙って、姉邦子さんが夏休みの一コマを書き、兄がそれに絵をつけた。あまりのうまさにうなったと同時に『のんきの私でもこれはばれる、自分の実力でしないとまずいことになると教えられた。困るのは自分だと』と述懐。
小生長じてからは、一時期蝸牛社の3年連用DIARYを愛用し手元に9冊残る。入社した1970年(昭和45年)から1977年の7年間は新聞手帳、1978年〜2002年の24年間は能率手帳を併用して連用DIARYを補った。2002年(平成14年)以降はパソコン日誌(Microsoft Word)とブログてすさび日誌に切替え今日に至っている。
日記の原点はやはり小学高学年になってからの宿題日記「くらしのノート」にある。担任のK坂先生から赤字で丸(大抵は三重丸から五重丸)と一言コメントを貰うのが楽しみで、下手なりに一生懸命綴ったものだ。残念ながら「くらしのノート」そのものは紛失して残っていないが、中学生になってからのルーズリーフ形式の日記帳に、「くらしのノート」の1ページを書き写してあり思わず笑えた。
あまりの拙文のため詳報は憚られるが、大筋はこういうこと。いつも寝相の悪さを指摘されていた私だが、たまたま正月にテレビをつけっ放しにして家族が雑魚寝をしたのがきっかけで、真犯人は弟だったと判明し「疑いが晴れた」と他愛無い出来事を得意満面に綴っている。先生のコメントには「わっはっは それはけっこう」とだけあった。
今晩はその幼馴染が集まってプチ同窓会がある。「くらしのノート」の思い出話など出してみようと思う。

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