2008/1/18

17歳の池田満寿夫と《原爆の図》展  1950年代原爆の図展調査

池田満寿夫美術館の元館長さんから、《原爆の図》展を見た池田満寿夫の17歳のときの日記のコピーを送って頂きました。
この日記は2003年に池田満寿夫の遺族宅で発見された「芸術家として知られる以前の様子が分かる貴重な資料」とのことです。

1月12日の学芸員日誌にも記しましたが、今回発見された《原爆の図》巡回展の記録によって、池田満寿夫の見た展覧会は、1951年5月27日から31日まで長野市・城山公園大会場で開催されたものだということがわかっています。

以下はその日記の抜粋です。

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5月27日[日]来信―吉兼賢次
 遂に、あのことを母に打ち明けた。あまりに痛く、病状が悪化しても困るので、病院に行ってみる気になった。母も心配して直ぐ行くように言ってくれた。早速、行ったが、生憎、休みだった。で、展覧会を見に行くために城山まで行ってみたが、まだ準備中で見られなかった。それに、みんな野球を見に行くので、つい見る気になってグランドへ行った。本校は松商に勝って決勝を長姫とすることに決まった。今日の応援は上出来で、みんな亢奮し、熱中した。ブラス・バンドも大会の気分を出すのに充分なほど上手くいった。応援席を開けてもらうのに、応援団にいくら頼んでも聞いてくれないが、悠然と座っている大人が随分いた。中には反って文句を言い、他の者の非難を蒙った者もいたが、やはり退いてくれなかった。こんな時は実に不愉快で腹が立つ。
自分は、どうしても彼女を忘れることが出来ない。いくら冷静を保とうと心掛けても、彼女を見ると、異様に胸が踊ってくる。そして、自分自身、諦めることが不可能であるということを知り過ぎるくらいに解っている。一体、彼女のどこがそんなに良いのだ。そして何故、彼女でなければならないのか。彼女の方では自分など眼中にないのに。自分だけが亢奮し、やきもきしている。自分は本当に冷静になって心を落ち着けて考えることが出来ない。彼女の前で、わざと他の店員から本を買った。自分の方をちょっと見て強い目つきをみせたが、好い気味だと思った。勿論、内心は逆だが。
《原爆の図》は野球の帰りに見た。黒白で描かれたもので、日本画か洋画か、ちょっとまごついた。が、何しろ大作で、特に百枚ものデッサンには感服した。幽霊・火・水の三部作からなり、その意図するものは戦争への激しい反抗であり、人間のおののき、叫ぶ赤裸々な姿である。

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個人的には、「日本画か洋画か、ちょっとまごついた」という箇所が興味を惹きました。
《原爆の図》は水墨画家の丸木位里と油彩画家の赤松俊子(丸木俊)の共同制作。特に第2部《火》では、西洋的なリアルな人物像と東洋的な様式化された炎の描写が溶けあい、不思議な効果を発揮しています。
昨年5月の講演で神奈川県立近代美術館の水沢勉さんが話されていた、「西洋の前衛表現の要素と日本の伝統が融合した1930年代後半の到達点から、戦争をくぐり抜けて《原爆の図》という従来の日本画と洋画という区分けがほとんど意味を成さない、新しい表現が生まれてきた」という言葉も想起します。
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