2007/7/10

鎌倉近美・藤沢聞き取り調査  作品・資料

丸木夫妻が片瀬で《原爆の図》を描きはじめた頃の関係者に取材をするため、藤沢市に出張。
藤沢市民ギャラリーを訪れて、同ギャラリー学芸員のS谷さんといっしょに、1948年の夏から秋にかけて丸木夫妻のデッサン会に参加したというAさん(当時湘南高校美術部員=男性)、1951年頃に原爆の図第5部《少年少女》のモデルになるためアトリエに通っていたというSさん(当時小学3年生=女性)のお話を伺いました。
そこで初めて知ったのは、原爆の図第5部《少年少女》に描かれているほぼすべての人物像は、実はSさんのごきょうだい4人(2人のお姉さんと1人のお兄さんとSさんご自身)を繰り返しモデルにして描かれていたのだという事実。
「これは兄、これとこれは一番上の姉ですね。これは私、これも私かな……」と画集を前に次々と指さしていくSさんに、「なるほど、似ている!」と皆納得。
当時片瀬公民館の前で寿司屋を営んでいたSさん一家。お父さんの「大事な仕事をしている人だから協力してあげなさい」という言葉に、恥ずかしがりながらモデルを務めたものの、すでに中学生だったお姉さんは「男の人の前でモデルはやらない」と言い、そのため制作中は一度も位里さんは姿を見せなかったそうです。
ほとんど俊さんが一人で描いたといわれる《少年少女》には、実はこんな理由があったのかも知れません。

また、芸大を目指していたAさんは、夏休み中に学校のデッサン室が閉鎖されたため、「本当の画家に絵の秘伝を教えてもらおうという色気もあった」との理由で、当時片瀬に転居してきたばかりの丸木夫妻のデッサン会に参加。
「だけど何にも教えちゃくれないし、位里さんは『普通のデッサンじゃつまらんから、もっと変なポーズを描こう』と言い出すし、ここにいて変な癖がついては芸大に通らない、と思って、やがて行くのをやめてしまった」そうです。
「まあ、二人とも物静かで優しくて、とても、その後に原爆の絵を描くようになるとは思わなかったなあ」
「それでも、俊さんから『画面全体を細かく描くのでなく、ポイントだけをしっかり描くといい』とか、『風景をその場で描かずに覚えておいて、後から思い出して描くという方法もある』と教えられたことは後々まで覚えていたなあ」
と、楽しいお話を聞かせて下さいました。
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