2007/2/3

原爆観音堂のこと  その他

神戸から帰ってから数日間、原爆観音堂の取り壊しという現実に直面し、日誌を記入する気力が沸きませんでした。
1日(木)夜には来年度の企画委員会が開催されました。
2日(金)午後には原爆観音堂が完全に撤去されました。

先日の神戸の講演では、「丸木美術館とその周辺環境は、丸木夫妻が(《原爆の図》とともに)残したもうひとつの“代表作”」と紹介しました。
丸木夫妻の残した歴史ある建築物、そして多くの人の祈りの場があっけなく姿を消したことについては、今も心の整理がつきません。

原爆観音堂の再建計画についてはここ数日で二転三転し、正式に決定するのはしばらく先になりそうです。
ぼく自身の心の整理がつかないこと、そして丸木美術館としての公式な経過説明については慎重を期する必要があることから、この学芸員日誌には今後も原爆観音堂取り壊しの経緯については記さないことにします。
一個人としては、丸木夫妻や丸木美術館に関わる多くの方々のためにも、迅速かつ正確な経過報告が行われることを望んでいます。
0



2007/2/6  5:13

投稿者:岡村

私が神戸から戻った1月31日にはすでに観音堂はほぼ取り壊された状態でした。
私の不在時ということもあり、詳しい経緯は記しませんが、N事務局長はじめ多くの方が突然の出来事にもかかわらず回避のために奔走されたとのことです。
この件をブログでどこまで公開して良いのかについてはK理事長とも苦しい相談をした(K理事長は丸木家との話し合いのため急遽2月1日に来館されました)のですが、結果的に詳しく状況を報告できなかったことを申し訳なく思います。
何とか手はなかったのかとの思いは私も未だに消えません。
その一方で、数日間この件について考え続けたのですが、丸木家だけではなく美術館関係者、丸木夫妻までも含めた人間関係の構造的な問題で、ある意味では丸木の混沌の歴史の必然であったのかもしれないと思うようにもなりつつあります。
ともあれ、私たちが問われるのは今後の対応でしょう。


2007/2/5  10:32

投稿者:近内篤雄

観音堂が撤去されたって!そんな馬鹿な!岡村さんのブログを読んで対策を考えなくてはと思っていた矢先です。理事長(?)からのFAXも読んで心配していました。美術館には相談がなかったのですか?いくら丸木家の意向とはいえ、そんな横暴が許されていいんですか?今となっては遅いんでしょうが何とか手はなかったんでしょうか?残念です。


※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ