2007/1/11

代用教員時代の俊  作品・資料

丸木夫妻の資料の確認作業の続報です。
昨日、千葉県の市川市立市川小学校の校長先生から、戦前に市川小学校で代用教員をしていた丸木俊(当時赤松俊子)に関する記録が見つかったとのお電話を頂きました。

記録によると、俊は1933年4月19日から1937年3月31日まで代用教員を務めていたとのこと。自伝では、はじめは2年生女子組の担任を受け持ち、やがて全校の図画教育の責任者になって県の図画大会で県知事賞を受賞しましたが、自分の絵を描く時間が削られたために退職を決意したと回想されています。
その後、俊は通訳官の子どもの家庭教師として1年間モスクワに渡るのですが、今回の調査で、モスクワから帰国後の1938年5月19日から同年8月31日までの短期間、再び市川小学校の代用教員として勤務していたということがわかりました(県の図画大会で県知事賞を受賞したという事実については確認できませんでした)。

俊はその後、椎名町のアトリエ村に住んで画家として本格的に活動をはじめます。アトリエが見つかるまでの間だけ、市川小学校で代用教員をしたということなのでしょうか。それとも、何か別の理由があったのでしょうか。
いずれにしても、まだ売れない画家であった彼女が腕一本で生きていくには、さまざまな苦労があったことでしょう。
もう少しいろいろ調べてみれば、また何か新しいことが分かるかも知れません。
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2007/1/13  16:39

投稿者:片岡元雄

はじめまして。
私は吉川英治記念館学芸員の片岡と申します。
私のブログで赤松俊子さんのことに少し触れました。
ご一読の上、何かご存知のことがあればご教示いただきたいと思い、トラックバックを送らせていただきました。
よろしくお願いいたします。

http://www.kodansha.co.jp/yoshikawa/


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