2018/11/21

【済州島出張2日目】掩体壕、「済州島4.3事件」の碑など  調査・旅行・出張

済州島出張2日目。
町の向こうに漢拏山がよく見えます。

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午前中は旧市街の市場を散策。

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午後、島の南西端へ済州大学C先生のお連れ合いKさんの車で向かう途中、コンクリート造の旧日本軍の通信基地の跡を見かけました。

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人がひとりやっと通れるような地下通路が2本。1945年の解放後は、韓国軍の弾薬庫にも使われたとのこと。
戦争末期の日本軍は、沖縄陥落後、この済州島で連合国軍を迎え撃とうとしていたそうです。
車で案内してくださったKさんによれば、「広島がなければ済州も沖縄のようになっていた」とのこと。

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島の南西端にある松岳山の海沿いの絶壁には、小型の特攻艇「震洋」を隠すため、地元住民が動員されて掘られた岩穴がいくつも見られます。
韓国ドラマ「チャングムの誓い」のロケ地になったことでも知られるそうで、観光客で賑わい、大型バス駐車場や土産物屋も建っていました。
もっとも、ぼくは韓国ドラマを全然見ていないので、同行の大阪大学Kさんに「あんなに流行ったのに、何で見てないんですか!」と叱られてしまいました。

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松岳山の近くにあるアルトゥル飛行場は、旧日本軍によって整備され、長崎の大村海軍航空隊に替えて、南京など中国大陸空爆の拠点となった飛行場。
現在、滑走路は農地となっていますが、零戦を格納するコンクリート造りの掩体壕〔bunker)は20カ所が現存し、点在しています。一度にこれほど多くの掩体壕を見るとは思っていなかったので、とても驚きました。

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壕内には、2015年に設置されたという現代美術の展示もいくつかありましたが、あまり効果的とは思えず、むしろ何もないままの方が良かったかもしれません。

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この地は、「済州島4.3事件」の現場でもあります。
共産主義の容疑をかけられて「予備拘束」されていた罪のない地元住民252人が、1950年8月に旧日本軍弾薬庫で集団虐殺され、証拠隠滅のため遺品も焼かれ、遺骨の区別もないまま秘密裏に埋葬されました。
1956年に遺骨は発掘されましたが、識別できない132の遺体は「百祖一孫」(犠牲者の遺族は皆同じ子孫)として集められ、慰霊碑が建てられたそうです。

しかし、1961年に軍事クーデターが起こると、慰霊碑は破壊され、墓も奪われました。そのため遺族は沈黙を強いられ、真相究明・名誉回復は2015年まで待たなければならなかったとのこと。現在は虐殺の跡地に、犠牲者の名を刻んだモニュメントが建てられ、遺骨が埋められた二ヶ所の穴が復元されています。

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アジア・太平洋戦争から朝鮮戦争へ。日本にも深く関わりのある不条理の歴史に翻弄された済州島の傷跡を見てまわり、明日はいよいよ済州大学にてシンポジウム。
場所の力に圧倒されつつ、でも発表の前に見ておいて良かったと思いました。

     *     *     *

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帰りに立ち寄った済州現代美術館は高吉千(コ・ギルチョン)展を開催中。
済州島を拠点に、政治や歴史、環境などの社会問題を継続的に美術で表現してきた作家の回顧展です。

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彼の重要な主題である「4.3事件」はもちろん、トランプ政権に対する風刺や、渡り鳥の飛来地を調査して環境問題を考える作品などが、3つのフロアにわたって展示されていて、とても見応えがありました。とはいえハングルが読めないので情報が限られ、社会的な文脈もよくわからないので、現代美術を理解するのはなかなか難しかったです。
高吉千展の図録がなかったのは残念でした。
帰ったら韓国美術研究者の古川美佳さんにいろいろ聞いてみようと思います。
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