2018/9/16

「丸木位里・俊《原爆の図》をよむ」展と峠宛て書簡について  館外展・関連企画

広島市現代美術館で開催中の「丸木位里・俊《原爆の図》をよむ」展は、丸木美術館が所蔵する《原爆の図》初期三部作と、広島市現代美術館が所蔵する再制作版の《原爆の図》を比較展示することを目的としてはじまりました。

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また、《原爆の図》に注ぎこまれた丸木夫妻の戦前から続く絵画の実験や、峠三吉との交流をはじめとする広島とのかかわりも紹介され、見ごたえのある内容になっています。

丸木美術館の企画としては、これまでにも「原爆の図をめぐる絵画表現」(2004)や「原爆の図はふたつあるのか」(2016)などを開催していますが、今回のように他館――それも広島で、《原爆の図》の成立過程と展開の一端を紹介していただけるのは本当にありがたいことです。

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もっとも、今回新たに公開された赤松俊子(丸木俊)から峠三吉宛ての書簡のひとつ(展示番号4-13)の翻刻には、明らかな誤りが見つかりました。
展示パネル・図録に掲載された書簡の翻刻の内容は次の通りです。

京都同学会主催の原爆展であなたの影の詩は日に三十回も朗読されたでしょう。丁度わたしたちの第五部作少年少女の向いにあったのです。‟影がある”‟影がある”と、くりかえしくりかえし京大の文学部の人人が朗読しては感想をのべていたのです。そうして十日間は無事に終わりました。四国五郎さんの弟より又申出ありました。わたしはこれでわたしの責任を果たしたような気持ちです。

四國五郎の弟・直登は1945年8月に被爆死していますから、「申出」があるはずがないと、展覧会初日からお気づきになった方もいることでしょう。

確かに難読箇所ではあるのですが、正確には「四国五郎さんの弟よも見事でありました」と読みます(私もすぐに誤りに気づいて担当学芸員に指摘したものの、結局読み解けず、歌人の相原由美さん、俊の弟の赤松淳さんにご教示いただきました)。

実際、1951年7月、京大同学会主催により京都の丸物百貨店で開催された綜合原爆展には、峠の詩「影」とともに、四國の詩「心に喰い込め」が掲示されていました。その詩の中で、「弟よ」という言葉が印象的に使われているのです。俊が「見事」と褒めているのは、「心に喰い込め」で間違いないでしょう。

この件は広島市現代美術館にもお伝えしたので、近日中に修正が入る予定です。すでに展示をご覧になり、図録を手もとにお持ちの方は、修正をお願いいたします。
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