2018/5/15

高畑勲お別れの会/山内若菜展  他館企画など

ジブリ美術館にて「高畑勲お別れの会」の式典に参列。
先月の「石牟礼道子さんを送る」会に続いて、大事な仕事を遺された方、そして無理をお願いしてしまった方とのお別れです。
早めに会場に到着して、宮崎駿監督、鈴木敏夫プロデューサーに目礼、式典開始時間を待ちながら高畑監督のご著書を読み返しました。

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宮崎監督の挨拶はもちろん、息子さんの挨拶、二階堂和美さんの振り絞るような「いのちの記憶」の歌声が心に沁みました。

高畑監督には昨秋の対談企画のために何度かお手紙を書き、メールのやりとりをして、いっしょに「原爆の図」を観る機会をいただきました。
わずかではありましたが、厳しさ、優しさ、繊細さを感じ、絶えず緊張していた時間でした。
丸木スマの絵をご覧になって、「これは、絵巻物の世界ですよ」と心から嬉しそうに笑ってくださったときだけ、緊張が解けたことを覚えています。
体調が良くないことは最初から知っていたから、申し訳ない思いがずっとあったのですが、周囲の方から「最後まで仕事の機会があったことを、本人はよろこんでいた」と言っていただき、少し救われる気もしました。

対談直前になって、突然「出演を辞退したい」というメールが届き、慌てたことを思い出します。
体調面の不安もあったのでしょうが、「このテーマを語るには時間が短すぎる」という言葉に、本気で「原爆の図」に向き合おうとして下さっているのだと感じて、懸命に説得しました。
当日、開場2時間前にメールをいただいて、ようやく安堵しました。

時間が許すのならば、もっと高畑監督のお話をうかがいたかった。
対談企画の後、帰りの車の中では、いつになく気持ちが高ぶって、ずっと語り続けておられたそうです。
「思うところを充分に話しきれなかった」という高畑監督に、「いつかまた、原爆の図について語ってくださることを願っています」とお返事したのが、結局、最後のメールになってしまいました。

   *   *   *

「高畑勲お別れの会」の後は、銀座の中和ギャラリーで山内若菜展を観ました。
3年前の丸木美術館での展示から、さらに拡張し続けてきた牧場の絵画が、360度の円環状の展示となって、観る者を包み込みます。

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洞窟の岩肌を思わせる和紙の大画面。海のようにも草地のようにも見える青緑色の水平線。希望の象徴のペガサスに加えて、ヤンバルクイナや第五福竜丸の船影も描きこまれ、時間軸が多層化していました。
福島であり、沖縄であり、チェルノブイリであり、マーシャル諸島でもありながら、現実から飛翔していく彼女の心象風景なのでしょう。

「迷いのない絵ですね」と来訪者に声をかけられて、そんなことない、常に迷っている、と彼女が答えていたのが印象的でした。
描ききれないほど複雑なテーマに引き裂かれながら悶えて、それでも描かずにはいられない、青い炎のような強靭な小宇宙。
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