2005/6/26

6月25日(土)  分類なし

【今日の入館者】238人(団体206人、招待・友の会4人)
○午前中と午後の2回に分けて都内の女子中学校が団体入館。午前中は僕が、午後はNさんが館内説明をする。今日は週末ということもあって事務局への来客も多かった。評議員のSさん(新聞切抜きのため)、いつもボランティアをしてくれるDさん、Jさん(サッカー話で盛り上がる)。午後にはWさんも貸スペースでの写真展の打ち合わせのために来館する。

○今日はニュース編集作業の追い込み。新作Tシャツの写真を掲載するために、いつも遊びに来る近所のRちゃんとYくんにお願いしてTシャツを着てもらった。小学校にあがったばかりのYくんは、一番小さなサイズのTシャツでもかなりぶかぶかで、「写真は撮らない!」とふくれていたのだが、みんなに「かっこいいよ」と褒められて最後は笑顔で写真に写っていた。

○今号の美術館ニュースには新しい試みとして「表紙の絵」というコラム記事を作ってみた。今回は丸木スマの『ピカのとき』を取り上げている。以下はそのコラム記事の全文。こうした試みが、関係者の間にどのような反応を呼ぶのかは正直不安もあるけれども、恐れずに新しいことに挑んでいきたいという気持ちが今は強い。

表紙の絵 『ピカのとき』丸木スマ

「市民の手で原爆の絵を残そう」という呼びかけにより、被爆者の描いた原爆の絵の一般募集がはじめられたのは、被爆からおよそ30年が過ぎた後のことでした。当時の生々しい様子が描かれたそれらの絵からは、被爆者に刻み込まれた「あの日」の記憶が、長い歳月を経ても決して消え去るものではないことが感じられます。
 丸木スマの『ピカのとき』は、1950年制作です。被爆者の絵としてはかなり早い時期に描かれたものと言えるでしょう。しかし俊の文章によると、スマは原爆の絵を描いていたことを周囲の人には話さなかったようです。
 原爆に夫を奪われた彼女は、まわりの人が「運命だからあきらめましょう」と言うのを聞いて、「これは山崩れや地震たァちがいます。ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」と言ったそうです。
 そんな気丈さと洞察力を備えたスマにとっても、自らの体験を描くことは、とても辛いことだったのでしょう。
 近づこうとしても、私たちの想像のはるか彼方にある原爆の記憶。けれども、残された一枚の絵は、私たちにとって「あの日」を追体験するための貴重な道標でもあるのです。
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