2017/4/27

木下直之『せいきの大問題 新股間若衆』  書籍

本日、手もとに届いた木下直之さんの新著『せいきの大問題 新股間若衆』(新潮社)に、ついに《原爆の図》が登場しました。

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まず「戦後復興を見据える未来像」の一例として、赤松俊子の《裸婦(解放されゆく人間性)》を取り上げ、しかし、それは黒田清輝以来のルール、つまり「両股を閉じ、陰毛を描きさえしなければ普通の油絵と変わらない」とする裸体像の原則に従った絵であるとした上で、《原爆の図》の特異性に注目していきます。

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画面両端の女の姿を間近に見て、ふたりの股間には陰毛が描かれていることに気がついた。右の女はさらに性器らしきものも表現されている。考えてみれば当たり前の話だ。被爆者を黒田清輝以来の約束事に従って描くことなどできるはずがない。被爆者は原爆の閃光と熱線と旋風とによって、衣服を引き裂かれ、焼かれて裸にされたのだから、その裸が美しいヌードであるはずがない。被爆の現実を描こうとするのであれば、股間だけを奇麗事で済ますわけにはいかなかった。
《幽霊》には男の姿もある。少なくとも三人の男の股間には正しく性器が描かれている。そして、このことは印刷物の図版ではなかなか判読できない。実物と向き合わなければわからない。じっと見ているうちに、人間を描こうとした位里と俊の強い意思が伝わってくる。


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拙著『《原爆の図》全国巡回』からも、「《原爆の図》が、まず、裸体表現を『エロチック』、原爆の惨状の描写は『グロテスク』と批判され、『一つの見世物』と評されたことは記憶しておきたい」という一文を引用して下さっていますが、この箇所はまさに、木下さんの前著『股間若衆』や『美術という見世物』を思い浮かべながら記したものでした。

さらに、再制作版《原爆の図》は股間表現に後退が見られることや、すべての股間を赤裸々に描いたわけではなく、随所に洋画家としての配慮が働いていること、その配慮は、裸体画のルールにしたがったというだけでなく、死者に対するものでもあったこと、それでも《原爆の図》がこれまでの裸体画の約束事を突き破ったことは間違いないと、木下さんならではの視点から《原爆の図》に迫っていきます。

その他の章はまだじっくり読んではいませんが、藤田嗣治と水木しげるの戦争表現について、「ふんどし」を手がかりに分け入っていき、「人間と向き合うことにおいて、藤田嗣治の《アッツ島玉砕》は水木しげるの『総員玉砕せよ!』(上)の足元にも及ばない」と断じるなど、興味深い箇所が満載の一冊です。
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