2017/4/11

【沖縄出張】沖縄県立博物館・美術館「山元恵一展」  他館企画など

沖縄県立博物館・美術館で開催中の「山元恵一展 まなざしのシュルレアリスム 夢のかけら」を観ました(4月23日まで)。

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山元恵一(1913-1977)は、那覇市で生まれ、東京美術学校でシュルレアリスムのグループ「貌」に参加して杉全直や福沢一郎と交流。
1941年に沖縄へ帰り、戦後に首里のニシムイ美術村に石積みのアトリエ「石の家」を建て、1951年には沖縄のシュルレアリスム絵画の代表作である《貴方を愛する時と憎む時》を発表しています。

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展覧会は、「序章 山元恵一と県立二中」、「第1章 青春の輝き―グループ貌とその時代」、「第2章 占領下の人物と背景」、「第3章 実験的絵画の時代」、「第4章 失われしものへのオマージュ」、「第5章 シュルレアリスムの拡がり」という6つの章に分かれています。

序章では山元と同時代の県立二中(現那覇高校)の画家、第1章では東京時代の交友画家、第5章でも70年代の沖縄のシュルレアリスム画家の作品の展示がほとんどなので、全出品作158点のうち85点と山元の絵画自体は決して多くはありません。
とりわけ、戦前の山元の絵画が1点も存在していないのは、辛い気持ちにさせられます。
沖縄戦の圧倒的な破壊が、個々の歴史も断絶させていることを、否応なく意識してしまいます。

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前半のハイライトは《貴方を愛する時と憎む時》で、この作品は1951年11月3日-5日に那覇琉米文化会館で開催された第3回沖展に出品されて専門家投票で首位を獲得したそうです。
煉瓦造りの廃墟の前に、黄布をまとったマネキンや黒い水差し、レモンなどがならび、白い胸部のマネキンや、目をかたどった針金のようなものが宙に浮いています。

タイトルが意味する「貴方」とは、妻の文子さんの話では「人間に対してではないらしい」とのことらしく、1951年という時期―サンフランシスコ条約で占領解放から沖縄が取り残された―を考えると、日本を意味しているようにも思えます。
ともあれ、この時代に描かれた作品で現存するものは少なく、他にシュルレアリスム的な傾向のものは見られないため、展覧会では少し唐突な印象を受けました。

その後、米軍統治の時代が続く中で、山元はさまざまな抽象表現の実験を試みていきますが、後半のハイライトは1970年代の牛頭骨をモチーフにした20点近くのシリーズでしょう。
このシリーズは、私が「石の家」を訪れたとき、いつも壁に飾られていました。

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(撮影は2016年4月)

牛骨とともにレモンやかぼちゃ、メトロノームなどのモチーフが描かれ、背景の淡いピンク色と牛骨の赤色が印象に残ります。
また、今回の展覧会で初めて知ったのですが、同時期には、フロッタージュの手法を用いた幾何学的なドローイングも数多く残していたようです。

1972年の「本土復帰」の頃から、沖縄では多くの画家がシュルレアリスム風の絵画に取り組みはじめます。
それは、1973年4月7日-22日に沖縄タイムスホールで開催された「現代の幻想絵画展」の影響が大きかったようですが、山元にとっては戦前の東京の記憶がシュルレアリスムという表現手法と分かち難く結びついて、日本と沖縄が遠ざかり、あるいは近づくたびに愛憎の思いと共によみがえるようにも感じられました。

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午前中には、T学芸員に連れられて、福沢一郎記念館のI学芸員とともに「石の家」を訪問しました。
私は昨春に続いて3度目の訪問。妻の文子さんをはじめ山元家の方々が温かく迎えて下さりました。

展覧会には、画家である文子さんの油彩画も2点展示されていますが、夫の亡き後の1990年頃に制作したもので、文子さんのお話を伺っていると、織布の美しい端切れを集めたスクラップ帖がセットのように登場してきます。
それらは戦後の長きにわたって生活を支えるための手段であり、沖縄の女性が許された唯一と言っていいような自己表現の手段でもありました。しかし、こうした仕事の意味はもちろん、日本美術史上に語られる機会はほとんどありません。

ミュンヘンのPostwar展に提示されていたような、複合的な文化体験から生じる「新たなハイブリッド」の表現は、現在、沖縄の若手現代美術家の間で花開き、国際的にも高い評価を獲得しています。
しかし、沖縄の美術の流れを見ていく上では、歴史の複雑な層の中に落ち込むように「残されなかったもの」「描かれなかったもの」のことを、思わずにはいられません。

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今回、「石の家」に伺ったところ、ニシムイ美術村の跡地がポケットパークとしてきれいに整備されていました。
日曜美術館の特集や、県立美術館の企画展、原田マハさんの『太陽の棘』など、近年の注目度の高まりのおかげでしょうか。
とはいえ、現存するアトリエは1件だけなので、近所の方からは「山元家の公園」と言われているとか。
ともあれ、文子さんもお元気そうで、ゆっくりとお話ができて良かったです。

   *   *   *

夕方は沖縄タイムス社を訪れて、展覧会の御礼報告。
夜の飛行機で慌ただしく沖縄出張を終えました。

帰路の途中で、画家の儀間比呂志さんの訃報を知りました。
2008年に町田市国際版画美術館で開催された「美術家たちの南洋群島」展のレセプションでお会いしたことを懐かしく思い出します。
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-477083.html
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