2017/3/29

安藤栄作さんが第28回平櫛田中賞受賞  その他

彫刻家の安藤栄作さんが、第28回平櫛田中賞を受賞されたという嬉しいニュースが発表されました。

http://www.sanyonews.jp/article/508867

安藤さんは、東日本大震災で福島県いわき市の自宅・アトリエを失った後、関西に移住して彫刻活動を続けており、丸木美術館でも2013年に個展、2016年に「Post3.11」というグループ展を行っています。

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写真は、丸木美術館での個展の際の会場風景。

少し前のことになりますが、平櫛田中美術館から連絡があり、安藤さんに素晴らしい知らせをおつなぎするという役回りになったので、そのことも含めて、嬉しい体験でした。

以下は、審査委員の水沢勉さんが記された、安藤さんの受賞についての文章です。
水沢さんが後押しされた、ということも、私にとっては大きなよろこびの理由でした。

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木を叩くひと ― 安藤榮作について
                                 
 安藤榮作は愚直なまでに木彫にこだわりつづけている。
2011年3月11日の東日本大震災で被災し、さらに福島第一原発事故もあり、発生後まもなく福島県いわき市を家族とともに離れ、現在は奈良県に住んで制作に打ち込んでいる。大きな人生の転機であったと思う。長く暮らした場所を離れることは、自分自身にとっても、家族にとっても、そして、さまざまな人間関係に支えられてはじめて成立する仕事(制作)にとっても、まさしく生木を剥がすような痛恨の出来事であったにちがいない。
 しかし、それにもかかわらず、いや、むしろそれだからこそ、この木彫家は、ますます木彫に徹するようになったとみえる。元来、刀の彫りの鋭さや冴えを強調するよりも、そこに費やされたエネルギーのほうを印象づけるように、あえて荒れた木肌のままの仕上げを好んできた。ささくれたり、割れたりすることも、この作家には希貨であり、木であればこその表現の恵みとして受けとめてきたのではなかろうか。
斧の打痕というべき無数の凸凹は、つい触りたくなるようななつかしさの感情を呼び起こす。それも、そうした行為の結果として生まれた作品が、それぞれに独立した完成作というよりも、連続する創作の発露であり、証しであるからではなかろうか。それらは、過去と現在と未来とをつなぐ、連続する制作のまさにそのただなかで生まれているのだ。それらは、終わらない、終えてはならない、祈りに似た、ひたむきな行為の持続の意志の産物であり、中心部にその意志が真っ赤に過熱した鉄棒のように貫いている。
 無数の鑿痕が集合して面となり、作品の表面を覆い尽くしている。打たれたエネルギーを木の表面は受けとめ、それを木の内部へと伝え、木全体の密度が高まったように感じられる。それゆえにそれは熱を帯び、懐かしく、だれもがつい触りたくなるのだ。
 生まれたかたちにはそれぞれにかけがえのない意味が宿り、冷たい記号としての抽象的な概念を指示したりすることもない。それはあくまで個物でありつづけようとする。それぞれに名前があるべきだとそれらは静かに主張している。シリアの爆撃で落命したこどもたちに捧げられた小さなひとがたは個性を大声で主張しないが、個性をおのずと宿して、わたしたちに名づけをうながさずにおかない。そして、いかにもこの彫刻家らしいことに、そのひとつひとつが集合して、さらに大きな人型になって壮大な作品に変貌することもある。
 近作の《鳳凰》(2016年)。その壮麗さにわたしは圧倒された。金色に輝いているわけではない。名人技を揮う細部を見せつけて圧倒するわけでもない。しかし、なにかここにも無数の小さな鳥が集合しているように感じられるのだ。木を叩く無数の音。それがまるで鳥の鳴き声のように幻想されるのだ。木と叩くと悪魔は退散するという古い言い伝えがある。安藤の《鳳凰》ほど、その言い伝えに相応しい作品はないのではなかろうか。

 水沢 勉


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安藤さん、本当におめでとうございます。
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