2017/2/15

田口弘さんの葬儀  その他

今日もまた、美術館でお世話になった方を見送りました。
元東松山市教育長の田口弘さん。70年代から90年代にかけて、市と丸木美術館の橋渡しのような役割を果たして下さった方です。

田口さんの残した仕事は、2009年度朝日スポーツ賞受賞の理由となった日本スリーデーマーチの創設がもっとも知られているでしょう。
近年では、東武東上線高坂駅前の高田博厚の彫刻通りも地元で再評価されつつあります。
けれども丸木美術館にとっては、やはり東松山市中央公民館(現松山市民活動センター)大ホールの「平和のやまんば」の緞帳や、東松山市立青鳥小学校校舎の「平和の青い鳥」の壁画制作を実現させたことが忘れがたいものです。
丸木夫妻の絵を地元に残したのは、田口さんにしか成し得ない大仕事でした。

クリックすると元のサイズで表示します
松山市民活動センターの「平和のやまんば」緞帳

クリックすると元のサイズで表示します
東松山市立青鳥小学校の壁画

水上勉を丸木美術館に連れてきて丸木スマの絵を見せ、のちに文章を書いてもらうきっかけを作ったのも田口さんだったと聞いていますし、市の主催のバスツアーを組んで松本の神宮寺で丸木夫妻の襖絵を見る企画の案内人を務めたこともありました。

1944年に海軍所属の日本語教員として向かったフィリピン沖で米軍に船を撃沈され漂流、インドネシアで捕虜生活を送っていたことや、1936年夏の甲子園予選で旧制松山中学の控え捕手として0-72で大敗、60年以上続いた最多得点差の全国記録の経験者であったことは、ずいぶん後になってから知りました。

高村光太郎をこよなく愛し(実際に交流があり)、「ピカソ以後は芸術ではない」と頑固に言い張っていたので、企画委員会では意見を違えることも多かったのですが、それでも私は、田口さんの話を聞くのが嫌いではありませんでした。

94歳の大往生。冬とは思えぬ暖かな陽射しは、いかにも田口さんらしいと思います。
0




※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ