2016/11/27

国際日本研究センター「3.11以後のディスクール『日本文化』」  調査・旅行・出張

京都市郊外の国際日本文化研究センター(日文研)で行われた研究会「3.11以後のディスクール『日本文化』」にて、Chim↑Pomの卯城竜太くんとともに3.11後のアート活動について発表しました。

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私がChim↑Pomとかかわったのは、2011年12月の丸木美術館での個展のときでしたが、当時の彼らの活動や、その後の展開を振り返るという貴重な機会をいただきました。

私の報告はChim↑Pomも含めた「3.11」後の非核芸術の紹介。
そして卯城くんの報告は《SUPER RAT》からはじまり、《ヒロシマの空をピカッとさせる》を経て福島原発事故後につながるChim↑Pomの活動について。

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卯城くんの報告で興味深かったのは、国外で数多く展示されてきた《気合い100連発》など福島原発事故をテーマにした映像作品が、「安倍政権になってから」放射能、福島、慰安婦、朝鮮といった「NGワード」へのチェックが厳しくなり、国際交流基金の主催事業での展示ができなくなったという話でした。

このあたりの話は、昨夏開催された10周年展「耐え難きを耐え↑忍び難きを忍ぶ」でも作品として展示されています。
http://www.chimpom.jp/project/10th.html

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期せずして、なのですが、今回の報告では、公立美術館や国際美術展なども含めて、3.11後の日本の「公」がどちらの側を向いているのか、という違和感が、互いの発表の中で、共通の問題として浮かび上がってきたように思いました。

現在のChim↑Pomは、独自の活動拠点をつくり、寄付などの資金調達の道を拓いて、表現活動の幅を広げています。
Chim↑Pomの後に続く若い世代のアーティストたちにとっても、「オルタナティブ・スペース」と「D.I.Y」は、今の困難な時代を切り拓くためのキーワードであるようです。

考えてみれば、丸木美術館そのものが、半世紀前にアーティストが「D.I.Y」で作り上げたオルタナティブ・スペースの先駆なのでした。
紆余曲折の結果、Chim↑Pomが丸木美術館にたどり着いたこと、今の若いアーティストたちが丸木美術館で展示をすることは、歴史的に見れば必然のようでもあります。
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