2016/7/26

「原爆の図展・文京」と戦没野球選手慰霊碑  調査・旅行・出張

午前中の飛行機で広島から戻り、午後2時から文京シビックセンターで開催中の「原爆の図展・文京」で昨年の米国巡回展の報告を行いました。

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文京展は、毎年この時期に、もう12年も続けている複製展示を中心とした小さな展覧会。
今年は7月28日まで。入場無料ですので、お近くにおいでの際は覗いてみて下さい。

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会場には、たくさんの方がおいで下さって、スライドを交えながら1時間ほど話しました。
シニア世代の方々が中心で、夏休みに入ったばかりの小学生の姿もありました。
地道な活動を続けてこられている文京の方々には、本当に頭が下がります。
毎年、この展覧会を見て丸木美術館に来た、という方もいらっしゃるのです。

   *   *   *

帰りに、東京ドームのわきにひっそりと立つ「鎮魂の碑」に、久しぶりに立ち寄りました。
1981年建立の戦没プロ野球選手の慰霊碑。
慰霊碑はふたつあり、ひとつには戦没した選手の名前が刻まれています。

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もうひとつは、建立の趣旨や、碑の建立に尽力した遺族代表の石丸藤吉の弟・進一を偲ぶ文章が刻まれています。

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名古屋軍の投手として1943年にはノーヒットノーランを達成するなど20勝をあげた石丸進一は、特攻隊の出撃命令を受けた後、白球とグラブを手に友人とキャッチボール。
ストライク10球を投げ込んだ後で飛び立ち、還りませんでした。

強肩を誇る投手は軍隊で手榴弾投げに駆り出され、肩を壊した者もいました。
「沢村賞」に名を残す沢村栄治もその一人。選手生活の晩年は得意の速球が投げられず散々な成績で、最後の公式戦は代打出場。
その後応召し、輸送船でフィリピンへ向かう途中に屋久島沖で米潜水艦に撃沈され、還りませんでした。
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