2016/6/25

「四國五郎展」開幕  企画展

いよいよ「四國五郎展」がはじまりました。

今回の展覧会は、第1章「シベリア抑留体験」、第2章「辻詩と『われらの詩』」、第3章「平和のために」、第4章「絵本『おこりじぞう』など」という4つの章からなり、約80点の作品で四國五郎の画業を紹介しています。

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その中でも、1950年頃から1953年にかけて、四國が峠三吉とともに制作した「辻詩」は、ひとつの展示の軸になっています。

「辻詩」とは、二人が即興的にアイディアをぶつけあい、詩と絵を一体化させて一般にわかりやすく反戦を訴えるポスターの構想を練って、それを四國が手書きの作品に仕上げたもの。
広島の街角に貼り出して発表し、二人は仏教の「辻説法」にならい、「辻詩」(または「壁詩」)と呼びました。

警察が来るとすぐに剥がして逃げたそうですが、没収・紛失されたものも多く、当時100枚ほどを作ったもののうち、現存するのはわずか8枚のみです。今回は、その8枚をすべて額装して展示しています。

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言葉と絵が一体化した表現、共同制作であること、占領下・朝鮮戦争への抵抗、ゲリラ的な発表など、「辻詩」には丸木夫妻の《原爆の図》との類似点をいくつも見出すことができます。

シベリア抑留経験のある四國も、外交官の家庭教師としてモスクワに2度赴任している俊も、当時、ソ連の影響を強く受け、プロレタリア芸術運動の方法論を意識していました。
にもかかわらず、理念以上に圧倒的な個人的体験から出発している「思い」が、型通りの「社会主義リアリズム」から逸脱していく点を、とても興味深く感じています。

1950年10月、原爆ドームの南隣・五流荘で行われた、全国巡回のスタートとなる原爆の図三部作展に、「われらの詩の会」は大きな協力をしています。そのとき、俊が「辻詩」に強い関心を示していたことを、四國は日記に書き留めています。
そうした交流をはじめとする丸木夫妻と峠・四國らとの双方向的な影響関係については、あらためて調査・考察を進めていく必要がありそうです。

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午後2時からは、「四國五郎展」オープニングトーク。
ゆかりの方や出版関係者、学芸員、新聞記者、美術館友の会会員など、40名ほどが集まって下さいました。ご来場の皆さま、本当にありがとうございました。

トークでは、武蔵大学の永田浩三さんが展示の順に沿って作品を紹介して下さり、ご子息の四國光さんが家族ならではの視点で画家・四國五郎の人生を語って下さいました。
丁寧かつわかりやすい内容で、初めて四國五郎の作品を見る来場者の方にも好評でした。

広島ではたびたび展覧会が開かれていますが、関東圏でこれだけ本格的な回顧展は初めてなので、多くのご方に来場ただきいたいですね。会期は9月24日まで。
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