2016/6/11

兵庫県立美術館「1945年±5年」展/みんぱく共同研究  館外展・関連企画

朝一番の飛行機で神戸に飛んで、兵庫県立美術館で開催中の「1945年±5年 激動と復興の時代 時代を生き抜いた作品」展を観ました。

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1945年を中心軸に、1940年から1950年までの激動の時代を、約70名の作家、約200点の作品で振り返る企画です。
丸木美術館からは原爆の図第1部《幽霊》を貸出、そのほか、未完作の原爆の図《夜》や、丸木俊の《裸婦(解放されゆく人間性)》、丸木夫妻のメーデースケッチも出品しています。

松本竣介の《街(自転車)》や小磯良平の《斉唱》などモダンな生活風景からはじまり、満州・朝鮮・台湾など植民地の風景、従軍した兵士たちの見た風景、銃後の生活と続いていく1940年代前半。
筥崎宮から約30年ぶりに外部貸出されたという女流美術家奉公隊の共同制作《大東亜戦皇国婦女皆働之図(春夏の部)》は、吉良智子さんの好著『女性画家たちの戦争』とあわせて観ることをお勧めします。
そして廃墟の風景からはじまる1940年代後半は、立ち直る人びと、とりわけ女性たちの姿が印象的に描かれ、最後は《原爆の図》と浜田知明の《聖馬》の空間で幕を閉じます。
近年の潮流ではありますが、タブローばかりでなく、スケッチも数多く紹介されています。
前田藤四郎の琉球を主題にした版画原画や満州スケッチ、山下菊二の台湾スケッチ、吉田博の造船所スケッチ、水木しげるのトーマスケッチなどなど。

展覧会の特徴としては、従軍画家による「作戦記録画」の数が少なく、全体的に風景と暮らしに主題をおいた作品が多い印象を受けました。
図録に収録された担当学芸員の出原均さんの論考によれば、「私と公の関係」を問題として1940年代を読み解こうという狙いがあるようです。

戦争画を否定することによって、戦争画にまつわる多くのことが過度に否定されてしまった」と出原さんは述べています。戦時中、上からの強制的な「公」があまりにも巨大だったため、戦後は「個人の立場を取り戻す」ことが正当化されるあまり、下からの「公」を作る動きがあっても、公ということ自体に対する忌避にさらされてしまったというのです。

それは、「大衆が描かせた絵画」と丸木夫妻自身が語った《原爆の図》と全国巡回展の評価をめぐる問題に関わります。
一見、戦時中の「聖戦美術展」と類似している全国巡回展について、出原さんは次のように述べています。

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占領下、実態の知られていない被爆者を描くという、夫妻の発案から出発し、様々な市民組織に支えられて巡回(左翼系の協力はあったが)した点で、主に国が主導した作戦記録画の制作・巡回とは真逆である。当時の《原爆の図》の圧倒的な大衆性は、その大衆性が連作において様々に反映するという点も含めて、戦後における公をどう捉えるかの試金石であり、それはまた、戦時中における公との違いをどう捉えるかによっても明らかになるだろう。

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さらに出原さんは、「《原爆の図》とは逆に、私的なものをより徹底することで、戦争を振り返ったのが浜田知明である」と述べています。大画面の戦争画や《原爆の図》が追求したのとはまったく逆の方向性である小さな版画の画面に描かれた「私性」。

異なる方法で上からの巨大な「公」に対峙した丸木夫妻の《原爆の図》と浜田知明の《初年兵哀歌》の「大きな幅こそ、戦後美術の豊かさを示すものかもしれない」というのが、最後の展示室に込められた、展覧会の意図のようでした。

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広島市現代美術館で原爆の絵画について深く研究されていた出原さん(1992年の丸木位里展の担当学芸員でもありました)が、原爆をどのように見せるか、という点にも関心がありました。
福井芳郎《ヒロシマ原爆》(1948年)、古沢岩美《憑曲》(1948年)、山本敬輔《ヒロシマ》(1948年)といった作品は、かつて出原さんが紹介されたこともある、原爆を描いた絵画としては欠かせない作品ばかりですが、今回興味深かったのは、原爆投下後の最初期のスケッチとして、高増径草の墨とパステルによるスケッチを取り上げていることです。

論考の中で、出原さんは、軍機保護法などの制約があった時代、画家が描いた廃墟のスケッチはおおむね「戦後に描かれたもの」ではないかと推測されています。
広島が被爆した8月6日と翌日にその惨状をスケッチしたとの画家の発言もあるが、それを示す確実な資料があるわけではない」という鋭い指摘には、はっとさせられました。

今回、高増のスケッチが紹介されているのも、彼が原爆投下から1か月後の広島でスケッチをしている姿が、残留放射能の有無を調べるために広島入りした米軍の戦略爆撃調査団が撮影した写真に収められているという「証拠」があるからなのでしょう。

出原さんの論考とは無関係なのですが、赤松俊子(丸木俊)も8月下旬に広島入りして2点の丹念な焼け跡スケッチを残しているので、もしかすると原爆投下後の広島を描いた画家としては、彼女も「最初期」に加えていいのではないかと、ふとそんなことを思ったりもしました。

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午後からは大阪・国立民族学博物館にて共同研究会「放射線影響をめぐる「当事者性」に関する学際的研究」の第3回研究会に参加。
今後の研究会の進め方を討議した後、桑原牧子さんの「フランス領ポリネシアの核実験被ばく問題」、小杉世さんの「ニュージーランドから見た太平洋核実験―キリバス、仏領ポリネシアを中心に」の二つの発表を聞きました。
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