2016/5/22

長崎県教育文化会館所蔵の原爆の図《母子像》  作品・資料

すっかり遅くなってしまいましたが、4月に俳優の岡崎弥保さんから御教示頂いた、長崎にあるもうひとつの《原爆の図》についての報告です。

昨夏の「知られざる原爆の図展」で紹介できなかったのが本当に残念なのですが、長崎県教育文化会館の2階ロビーに、原爆の図《母子像》が常設展示されているそうです。
丸木美術館関連の画集や資料には一切掲載されていなかったため、これまでまったく気づきませんでした。

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制作は1985年夏。大きさは縦横2メートルほど。
丸木夫妻の画業の中でこの絵がどのような意味を持つのかと言われると、すぐには位置づけられないのですが、実はジャン・ユンカーマン監督の映画『劫火―ヒロシマからの旅』の中に、この絵の制作風景が何度も登場しているのです。

画面右にうずくまっている男性は丸木位里さん。パンツ一枚でモデルになる姿が、映画に収められています。
画面左端の中央で地面に丸くなって寝ころびながらこちらを見ている少年は、俊さんが囲炉裏で服を焼いて、手でもみほぐし、黒焦げになった服を着せるという印象的なシーンで登場します。
画面上部でお尻を出してうつぶせに寝そべる若者は、90年代なかばから丸木美術館の事務局長を務めたSさんの息子のJさん。今も丸木美術館にかかわってくれています。
この作品が描かれた経緯を、2000年3月20日付『ながさき教育新聞』に、平山惠昭さんが詳しく記しています。
平山さんは当時公立中学校教諭で、長崎市同和教育研究会の事務局長を兼務。春陽会に所属していた画家でもあるようです。

記事によれば、まず、1984年8月8日から12日まで「原爆の図」長崎展が市民会館で開かれ、このときに第15部《長崎》を長崎市国際文化会館(現・長崎原爆資料館)に寄贈するという話が持ち上がったそうです。
実際、《長崎》は半年後の1985年2月1日に正式に寄贈されるのですが、長崎でもう一枚絵を描きたいという丸木夫妻の意向と、ぜひ描いてほしいという「長崎展」実行委員の思いが重なり、同年12月に丸木夫妻は長崎を再訪。40日余りを稲佐町の平山さんの家で過ごし、大作を描くことになりました。それが、現在はブルガリア国立美術館に所蔵されている《地獄の図》です。
映画『劫火』のオープニングには、平山家で制作をする丸木夫妻の姿が映し出されています。
完成した《地獄の図》は、1985年1月29日に長崎の悟真寺で披露。記者会見の様子も映画に収められました。
この《地獄の図》制作中に、当時の県教組委員長の近藤禮司氏が丸木夫妻のもとを訪ね、県教組のために一枚《原爆の図》を描いてほしいと依頼したそうで、埼玉の東松山に帰宅してから描いたのが、今回の《母子像》というわけです。

丸木夫妻が晩年に手がけた外伝的な《原爆の図》のいくつかは、公式の画集や刊行物に掲載されていないので、これからもどこかに収められている絵が掘り起こされることがあるかもしれません。
次回長崎に足を運んだときには、この《母子像》を訪ねてみたいと思っています。
ご教示くださった岡崎さんをはじめ、資料を提供してくださった長崎の関係者の皆さまに、心から御礼を申し上げます。
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