2016/4/18

広島県北部にて丸木位里の絵馬調査  調査・旅行・出張

朝から、広島県安芸太田町の松原地区にて、県内の美術館学芸員Nさんと、地元新聞記者Nさんとともに、若き日の丸木位里の絵馬調査を行いました。

まずは地元郷土史研究会のS会長に案内されて、松原大歳神社へ。
そこには「昭和四年十一月」との日付のある、ヤマトタケル東征と楠木正成・正行父子の桜井の別れを描いた絵馬がありました。
大きさは絵馬が縦76.5cm、横153cm、額寸が縦106.5cm、横182cm。

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位里は円山四条派の画家・田中頼璋の画塾に学び、前年の1928年には景勝地・三段峡の黒淵を描いて県美展に初入選しています。
しかし、これらの絵馬は頼璋門下の画風と言うより、もっと通俗的な武者絵で、地元の支援者によろこばれる題材を選んで描いたのでしょう。

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使っている絵具は、岩絵具ではなく、もっぱら泥絵具か、ペンキのような合成樹脂系の絵具を使用しているとN学芸員。保存状態は非常に良く、色彩も驚くほどきれいです。

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この頃、位里は故郷の太田川流域で友人の家を転々と居候しており、この絵馬も、近くの光明寺の副住職であった浄謙哲信の世話で神社に奉納されています。
後年の位里はほとんど人間を描いていませんが、この絵馬では丁寧に人間を描いているのが新鮮に感じられます。
もっとも、細部の描写の大らかさには、後の位里の絵画の片りんも少しだけ感じられます。

実は、太田川流域の神社には、ほかにもスサノオノミコトや神功皇后、佐々木盛綱などを題材にした位里の絵馬が残っています。
まだ画家としての独自の表現を確立する前の絵画ですが、いずれまとめてじっくりと調査したいと思っています。

   *   *   *

その後、大歳神社の隣にある廃校になった2階建て木造校舎の旧松原小学校も見せてもらいました。位里が絵馬を描いたのと同じ、1929年建築の立派な校舎です。

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校舎は解体が取り沙汰されており、起死回生の策として、丸木位里の展示施設として再生させることはできないかと相談を受けましたが、なかなか簡単な話ではありません。

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最後に、位里が短期間暮らしていたという光明寺の庫裏の2階の部屋も見せて頂きました。
「位里さんはお金のない時代に、ここで勉強に励んで立派な画家に育っていった」とのこと。
この寺もまた、先代亡き後は住職不在なのです。

若き日の位里の足跡をたどりながら、噂には聞いていた中国地方山間部の過疎化の現実を目の当たりにする一日になってしまいました。
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