2015/12/13

原爆文学研究会国際会議2日目  調査・旅行・出張

福岡・九州大学西新プラザ大会議室で行われた原爆文学研究会2日目。

午前中はセッション2「原爆を視る」が行われ、私も鷲谷花さん(早稲田大学演劇博物館特別招聘研究員)とともにコメンテーターとして登壇しました。

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野坂昭雄さん(山口大学)の発表「原爆写真というメディアと〈詩〉」は、山端庸介の写真を素材にしながら、ロラン・バルトの「ストゥディウム」(道徳的、政治的な教養という合理的な仲介物を仲立ちとするもの)と「プンクトゥム」(ストゥディウムを破壊し刺し貫くような痛み)という概念を用いて、写真と詩というメディアを対比するものでした。

紅野謙介さん(日本大学)の発表「「キノコ雲」と隔たりのある眼差し──戦後日本映画史における〈原爆〉の利用法」は、広島を舞台にした映画『仁義なき戦い』冒頭のキノコ雲の映像が実は長崎のものであることなどを例にとりながら、再現不可能なものの“代用”をどう捉えるかという問題を分析されていました。

そしてマイケル・ゴーマンさんの「「核の不安」から「核の無関心」へ──アメリカのポピュラーカルチャーにおける核のイメージの変容」は、ダリのシュルレアリスム絵画《アトミカ・メランコリカ》にはじまり、『キッスで殺せ』、『ウォー・ゲーム』、『X-MEN』などアメリカのポピュラーカルチャーにおける核のイメージを分析する興味深いものでした。

私は、優れた映画研究者の鷲谷さんが控えていることもあって、すっかり安心して自由なコメントに徹してしまいましたが、ゴーマンさんが紹介されたダリの《アトミカ・メランコリカ》の中に描かれた野球選手が「ブロンクス・ボマーズ」(ブロンクスはニューヨーク・ヤンキースの本拠地。当時はジョー・ディマジオらの強力打線で爆撃機の異名をとった)を意味していると読み取れなかったことは、(自称)野球文化史研究者としては最大の悔恨でした。
同じ画面の聖母像に目を惹かれて、「野球の広島、祈りの長崎」などと下らぬパロディを口走っている場合ではありません。

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最後のセッション3「冷戦文化と核」では、アン・シェリフさん(オバリン大学)が「核と自由──1960-1970年代の日米における公民権/反戦/反核運動」と題して日本のべ兵連と米国の公民権運動の連帯について発表され、山本昭宏さん(神戸市外国語大学)は「〈核のない平和〉と〈核による平和〉──冷戦期日本の平和論と安全保障論から」と題し1960年代の国際政治学者の言説を分析、林泰勲さん(韓国朝鮮大学校人文学研究院PD)は「コリア核マフィアの始まり──雑誌『学生科学』(1965)を中心に」という韓国における原発推進派の要請に貢献した雑誌の研究発表を行いました。

『学生科学』誌で手塚治虫の『鉄腕アトム』が『原爆少年アトム』というタイトルで紹介されていたこと、その連載終了後に申東雨という漫画家がアトムの影響を多大に受けた『五万馬力チァドル博士』という作品で紙面を引き継いだことなど、初めて知る興味深い話もありました。
『鉄腕アトム』は日本の核エネルギー推進だけでなく、韓国にも影響を与えていたのですね。

最後に閉会の辞を述べた長野秀樹さん(長崎純心大学)が、「核という問題意識に普遍的な意味を求めつつ、そこに回収されない固有性の問題をすくい取っていく」ことが重要であると指摘されていたことも印象的でした。
原爆文学研究会という場の底流に流れ続けてきたものを、あらためて噛みしめる思いです。
「非対称性」や「代用」といったキーワードも頭の中を巡り、今回もまた大いに刺激を受ける2日間でした。

会場に持ち込んだ新著『《原爆の図》全国巡回』20冊も、おかげさまで完売でした。
李文茹さんが引率する台湾の淡江大学の学生さんたちがたくさん買って下さったほか、アメリカ(アン・シェリフさん)やイタリア(ロベルタ・ティベリさん)の研究者にも送り出すことができたので、今後、国際的にご活用頂けると幸いです。

非常に充実した2日間、お世話になった皆さまに心から感謝いたします。
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