2015/11/26

報道ステーション 吉永小百合さん×古舘伊知郎さん対談@丸木美術館  TV・ラジオ放送

11月26日(木)放送のテレビ朝日『報道ステーション』で、吉永小百合さんと古舘伊知郎さんの《原爆の図》の前で行われた対談の様子が放送されました。

吉永小百合さんのご希望ということで、丸木美術館で収録を行ったのは11月21日(土)。
その日は朝から、テレビ朝日の中継車やスタッフを乗せた小型バス、メイク用の大型車両などが駐車場にならび、大勢のスタッフが5台のカメラや多数の照明を設置するなど、大騒ぎの一日となりました。出演予定のない小川彩佳アナウンサーも、対談をご覧になるために、わざわざ丸木美術館まで来てくださいました。

1時間ほど行った収録が、番組では15分ほどにまとめられて放送されました。

   *   *   *

―報道ステーション・スタジオ

古舘 女優・吉永小百合さんにインタビューをしました。もちろん、映画公開のタイミングでもあったんですが、私は10年ぶりにお会いできるということで本当に嬉しくて、すると、吉永さん側から、できればここでお話しできませんかという場所の勧めがあったんですね。どういうところだったか。ちょっとご覧ください。

古舘 そこはすべて原爆投下で苦しんでいる人びとを描いた絵が掲げられているんです。こうしてインタビューの収録後、見続けている吉永さん。何かこのたたずまいに、落ち着いた使命感というものを、私、感じてしまいました。この日、吉永さんは、ちょっと遅刻しました。

―原爆の図第3部《水》の前で対談する吉永さんと古舘さん

古舘 どうしてそんなに謙虚でいらっしゃるんですか。だって今日もね、大渋滞で、三連休のとば口だから、大渋滞で、ちょっと遅れたっていうだけなのに、申し訳ございません、皆さんっていうふうに。ぼくは、ぼおっとしちゃいました。お迎えしたときに。

吉永 いやいや、本当に申し訳なくて、1時間も前に着くつもりだったんですけど、反省して、もっと早く出るべきだったと思って……

古舘 いや、そんなことないですよ。遅れるからいいんですよ。だって……

吉永 いやいやいや、本当に、忙しい古舘さんをはじめね、皆さんお待たせして、いや何とも、穴があったら入りたいっていう気持ち。すみません、本当に。

古舘 とんでもない。とんでもない。みんなも、そりゃぼくも忙しいですよ。

吉永 わかってます、本当に。

吉永 丸木先生のご夫妻がずっと長いことかけて、《原爆の図》っていうのを書いていらして。私は朗読をしているんですけれども(1986年から「原爆詩」の朗読を各地で開催)、でもやっぱり、この絵から受けた衝撃はもっともっと強いし、たくさんの方に見て頂きたいと思いますね。

古舘 はああ……、そうですねえ。

古舘 吉永さんはもちろん、戦争はダメだ。もちろん、原爆はダメだ。そして原発、これも同じ核だからダメだと、そういうこともはっきりと、そしてたんたんと訴え続けてらっしゃるというわけですけど、朗読のことも全部含めてですけど、ぼくは吉永さんの根源ですね。ずっと闘う人として訴えを続けていく活動の源って何でしょうか。

吉永 うーん。あの、年のことは言いたくないんですけどね。やっぱり、70年前に生まれたっていうことは大きいと思うんです。戦争が終わる年に生まれて、今はまだ戦後と言われているわけですよね。だからそういう時代がずっと続いてほしいと思うし、また、核の平和利用という言葉で原発があんなに作られたっていうことも、私はちょっと迂闊にもよく知らなかった。それが今度3.11の後に、こんな状況になっちゃったんだということで、すごく自分を恥じていますし、やっぱりもっともっと声を出して、非核っていうことを、あの、言っていかなければいけないと思っているんですね。

古舘 そうですねぇ。

吉永 古館さんがいつもね、番組でいろんな角度で取り上げて下さっているから、とても嬉しいです。

古舘 はあ、そうですか。

―8月9日長崎平和記念式典の映像・谷口稜曄さん(86)の挨拶

吉永 今年初めて、8月9日に長崎の平和記念式典にね、参列させて頂いたんですよ。でそのときに、谷口さんという被爆者の方がメッセージを語られて、その方は、1年半、背中に大やけどをしたためにうつぶせのままで病院にいらしたって方で、今も体調悪いんだけれども、出てこられてお話して下さって、とにかく胸を打つ演説をなさったんですけど、ああいう方が今も頑張っていらっしゃるし、原爆から原発っていう流れを、何かせっかく私たち日本に生まれたんだから、みんなで考えて、世界の人にこれは違うんだって、やめましょうって言いたいですね。

古舘 そうですねぇ。あの、核と人類っていうものは共生できないんじゃないでしょうか。

吉永 はい。そう思いますね。

古舘 『母と暮せば』を拝見しましてですね。凄惨な原爆が落ちたさまざまなシーンとかはほとんどなくて、母と息子の対話を中心に、たんたんといくあの映画の中に、原爆はダメ、戦争はダメ、というのがものすごくにじんでいますね。

吉永 それは山田監督の思いと熱情なんですよね。

―映画『母と暮せば』の映像より、母と息子の会話シーン

古舘 あの、息子さんとお母さんの会話が素晴らしくて。私はもう母は他界しておりますんでね、あの映画を見てちょっと母を思い出し、寂しい思いはしましたけど、あの……すごい変な言い方ですけど、一方が死んでから初めてああいう会話ができるのかなと。お互い生きている時だとね、憎まれ口言い合ったりしちゃいますけど、どっちがあの世に行ってると、こんないい会話ができるかなってちょっと涙ぐんじゃって。

吉永 そうですね。私も母が亡くなっていろんなことをもっと聞いておくべきだったっていうのを、今になって、今度の映画に出て思いましたし、もっと会話ができたんじゃないかって。あの頃の大変さとか、いろんなことをね。

古舘 本当に戦争体験で苦しい思いをされた世代は、あんまり下の世代に言わないというかですね、お母様も確か、どうしてあんなふうに戦争に突入していったんだっていう問いかけに対して、お母様は、あの当時は言えなかったんだっておっしゃった。

吉永 その一言でした。言えなかった。戦争反対、戦争になっちゃ嫌だっていうことを言えなかったって。だから、それはとても重い言葉ですけどね。でも、私たちはずっと戦後であって欲しいと思うし……言わなきゃいけないと思ってます。

古舘 今思ったんですけど、さっき源はなんでしょうっていう、戦争はダメだって訴える源はってお聞きしましたけど、もしかしたらその一か所に、お母様の世代が言えなかった、じゃあ、私の代ではっきりと言おうっていう思いもおありなんですか?

吉永 それもあると思いますし、私はずっと、何となく俳優になって、ずるずるとやってきましたので、「はい」と「いいえ」があまり言えなかったんですよね。それで、30過ぎてから、映画で、高倉健さんとご一緒した『動乱』(1980年)という映画に出て、1年間素晴らしい映画作りに参加して、私もう一回この世界でやってみようと思って、そのためには、きちんと自分でこれはやります、これはできませんということが言えるようにならないと、独立できないなと、精神的に。それから少しずつそういうことも言えるようになったし、また、いろんな社会の事なんかにも、目を向けられるように、少しずつなったというふうに思っているんですね。

古舘 ああ、そうですか。私たちはもう10代の段階で、『キューポラのある町』(1962年)ずっとはじめから今にいたるまで、吉永小百合さんは何も変わっていないように固定して見ちゃうところがあると思うんですけれども、いろんな変化がくりかえされているんですね。

吉永 そうなんですね、あの、家がとても貧しかったために、ラジオドラマ(1957年「赤胴鈴之助」)に子役でデビューして、一所懸命、家計の少し助けになるかしらと思ってやっていたんですね、中学ぐらいはね。で、高校になって勉強しっかりやろうと思っていたんですけど、映画会社に入ることになって、だから、自分で決断してこの道を選んだわけではなかったんですね。それが、だんだん年を重ねていくうちに、映画の仕事の楽しさとか、映画の持つ意味みたいなものを感じるようになって。いい映画は100年残ると思うんですよ。『キューポラ』はもう50年残ったので、100年残るような映画を作りたいなと思うんですね。子どもがいませんので、映画がやっぱり子どもみたいな思いでやってるんですけれども。

古舘 1962年の大晦日、紅白歌合戦、『寒い朝』。それを歌われているときの紅白歌合戦の視聴率が80.4%。だからまあ、ほとんど100%、日本じゅうが『寒い朝』を見ていたわけです、聞いていたわけですね。あれは今思うと、あんな時代は二度と来ないですね。

吉永 そうですね。あのとき緊張して、ヤカンのお水一杯ぐらい飲みました。出演の前に。

古舘 えっ。あ、そうですか。

吉永 はい。それぐらい緊張していましたね。

古舘 やっぱり、そうですよねぇ。

吉永 あの、マヒナ・スターズの方たちがね、いらしたから、できたんだけども、もうガタガタ震えていました。

古舘 たしか『寒い朝』は、北風吹き抜く寒い朝も、心ひとつで暖かくなる……いい言葉ですよね。

吉永 そうですよね。

―吉永小百合さん、『寒い朝』の歌声

古舘 心持ちひとつで、不幸だなんて思ってないで、心持ちひとつで幸せになれる、足るを知るんだよって、なんか、そのときはわかんなかったけれども、今60越えてぼくも思うのは、心持ち次第で人間って変われるじゃないですか。凄いことをあの時分から訴えてらっしゃいましたね、歌で。

吉永 いえいえ、私じゃないんですけど(笑)。佐伯孝夫さんの作詞ですけれども、あの頃の歌って本当にしみじみと心に響く歌詞がありますね。

古舘 こういう《原爆の図》を背景にしたときに、人びとが折り重なっているこういう図を見せてもらったときには余計に、絶対伝え続けなきゃいけないっていうことを感じますね。

吉永 本当にそうですね。私たちね、日本で生まれて日本で育ってるんだから、一番世界に向かってね、言わなけきゃいけないですよね。

古舘 日本が平和を続けてきたことも、素晴らしいって言ってくれているところがあるんだから、余計にそれを積極的に平和をアピールするっていうのが、積極的平和主義じゃないかと。

吉永 そうですね。私もそう思いますよ。武器を持たないことが積極的平和主義だというふうに思います。

古舘 元々そうなんですよね。

吉永 そう言うと甘いと言われたりすることもあるんですけど、よそから攻めてきたときにね。でもこれは、本当にたいへんな素晴らしい世界の財産だと思いますしね。

古舘 そうですね。

古舘 10年くらい前にちらっとお聞きしたことを思い出したんですけど、1日1キロとにかく泳いでらっしゃるというのは、今も……

吉永 いえいえ。今はとんでもなく。

古舘 やってない。

吉永 いや、やってはいるんですけど。そう、1週間に3キロですかね。

古舘 また几帳面に。1週間に3キロってのは、どういうふうに割り出された……

吉永 だいたい、週3回泳ぎたいんですよ。それで、1回に、まあ1キロ。前は1日に2キロくらい泳ぐときもあったんです。

古舘 1日に2キロまで行ってましたか。

吉永 はい、はい。

古舘 それをちょっとセーブされて、1週間に3キロ。

吉永 そう、今はだいたいそんな感じです。

古舘 で、1回につき1キロ。

吉永 はい。だから、だいたい、そうですね、150キロくらいですね、年間で。前は最高に泳いだときは400キロくらい泳ぎましたけど。

古舘 はあ、そうですか。平泳ぎ中心ですか。

吉永 いえいえ。全種目、4種目。

古舘 えっ! クロール、平泳ぎ……

吉永 バタフライ、背泳ぎ。

古舘 一人メドレーリレーですか?

吉永 そうです、そうです。

古舘 ちょっと待って下さい、バタフライおやりになるんですか。

吉永 やります、やります。バタフライが一番好きなんですけど、下手は下手なんですけど。

古舘 いや、下手であろうが、あれは背筋から何から、異常に使うじゃないですか。

吉永 うーん、やっぱり、それじゃなく、リズムで泳ぐ方がうまく前に進めるんですけど、私の場合はちょっと力づくでいくタイプですね。

古舘 力づくでいくんですか。

吉永 はい、はい。

古舘 一人世界水泳ですよね……

吉永 (笑)

古舘 はあ、やっぱりね。水を得たって感じになりますよね。

吉永 ええ、そうですね。あの、うお座なんで。たぶん、水の中にいるのが一番楽しいって感じですね、今はね。

吉永 足のサイズがどんどん大きくなるんですよ。

古舘 えっ。

吉永 だからもしかしたらね、足の方が発達しているのかもしれないですね。

古舘 あ、そうですか。ふつう、お年を召すとともに、足ちいちゃくなりますよね。

吉永 22.5だったんですけど、今はスニーカーなんか24なんですよ。

古舘 あ、そうですか。

吉永 だから、足が大きくなってるみたいですね。

古舘 やっぱり、バタ足はじめ、平泳ぎにしても、足ものすごく使うから、それで筋肉がついてるってことですね。

吉永 そうだと思うんですね。

古舘 うわー、じゃ、これから……

吉永 足ヒレ。笑

古舘 足ヒレができるって、天然の。どんどん大きくなるかもしれませんね。

吉永 そうですね。笑

古舘 や、でも、吉永小百合さんがなんで変わらないんだ……

吉永 100歳になったら、マスターズに出て泳ごうかしら。笑

古舘 ほんとですよ。

吉永 そういう方ね、いらっしゃいますもんね。

古舘 います、います。吉永小百合さんは、年とともに成長されるんですね。

吉永 やあ……退化してるんですけど、でも、アスリートだと思ってるんですよね、自分のことをね。だから、俳優というよりはアスリートとして、これからも、生きていきたいなと思っています。

古舘 うわあ、ほんのちょっとだけ……

吉永 ちょっとわかりましたか。笑

古舘 その活動の源が、わかったような気になりました。

吉永 はい。

古舘 いやあ、これからも、ずっと、そういうことを思い出しながら、私、くじけそうになった時に、吉永小百合さんがんばってるのに……

吉永 はい。あの、いつもテレビの前に座って、応援してますから、古館さんのこと。

古舘 ありがとうございます。

吉永 がんばってください。

古舘 いや、もう、がんばらせていただきます。どうか、あの、吉永小百合さんもアスリートとして、ずっと鍛え続けて下さいませ。

吉永 ありがとうございます。

古舘 ありがとうございました。

   *   *   *

スタジオで、古舘さんが「意志が強い方というのは、とても表面は優しくてね。優しいということと強いということは、全然矛盾しないわけです」とまとめていたことが印象的でした。

対談収録後、着替えを終えた吉永さんのご希望で、館内を案内させて頂きました。
ひとつひとつの展示室をじっくりご覧になりながら、こちらの説明にお応え下さる吉永さんは、イメージ通り、とても美しく聡明な方でした。

そして古舘さんも、私たちの挨拶に丁寧に対応して下さる方でした。「いろいろプレッシャーはあるんです」とおっしゃっていましたが、これからも頑張って、素晴らしい番組を作って頂きたいと思います。

丸木美術館での対談を希望して下さった吉永さんはじめ、スタッフの皆様に心から御礼を申し上げます。本当に、どうもありがとうございました。
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