2015/11/15

【米国出張F】Eikoさんのパフォーマンス  調査・旅行・出張

原爆の図展オープニング・レセプションでは、《原爆の図》の前でEikoさんのパフォーマンスが行われました。
Eiko & Komaのユニットでの活動は、米国内でも高く評価され、知名度も幅広いとのこと。
この日も100人を超える人びとが、Eikoさんの繊細で静かな熱を帯びたパフォーマンスを息を呑んで凝視していました。

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Eikoさんは、WAMの池田恵理子さんと高校の1学年下の同窓生。ぼくも10年近く前にEikoさんが丸木美術館に来られて知り合い、2009年7月18日に川口のNHKアーカイブスで池田さんの企画されたEikoさんと林京子さんの対談を聞きに行ったことがあります。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1212.html
今回、「ヒバクシャ・ストーリーズ」の活動をしているキャサリン・サリバンがEikoさんに公演を依頼したことから、奇しくも6年ぶりの再会となりました。

Eikoさんは当初、《原爆の図》の前でやるべきかどうか戸惑い、林京子さんに電話で尋ねたそうです。
すると林さんから「俊さんの絵は輪郭線が強いけれども、被爆者には輪郭線がなかった。それを表現すれば良いのではないか」という答えが返ってきました。
それは林さんらしい鋭い批評で、ぼくは《原爆の図》というより、林さんがご自身の小説で何を描写されていたのか、その理解が少し深まったような気がしました。

Eikoさんは、絵に描かれなかった、絵からこぼれ落ちるような人間を表現したいと言われ、その通り、《原爆の図》と被爆者の写真の展示会場をつなぐような構成でパフォーマンスを行いました。
Eikoさんの米国デビューを後押ししたのは、かのベアテ・シロタ・ゴードンであり、この日はベアテさんの娘のニコルさんも来場して下さっていました。

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翌日もパイオニア・ワークスでEikoさんの撮影があり、ぼくは一日中立ち会いました。
開幕前にはリハーサルの日もあったので、この間、Eikoさんとはずいぶん話をすることができました。

Eikoさんの祖父は、岡倉天心や横山大観と袂を分かち、丸木位里たちの歴程美術協会より前に「日本画の前衛」に果敢に挑んでいた孤高の日本画家・尾竹竹坡だということも知りました。彼が1920年に描いた天体三部作《月の潤い・太陽の熱・星の冷たさ》は、まるで未来派のような作品で、宮城県美術館の所蔵になっています。
http://www.pref.miyagi.jp/site/mmoa/mmoa-collect028.html

僕はうまい絵を描かうとは思わない。ただ描き度いから描くだけだ。結果がどうだらうと人によく思はれやうとかそんな事には重きをおかない。ただ人を驚かさう、アツと云はせやうというやうな心持を持つて居る。なんとかして大作をやらうと思つて居る。まあ二、三年はかかるだらう。

この文章は、まるで若き日の位里が書いたかのようですが、竹坡が1929年に書いたもの。
当時、位里は28歳。二人の画家の人生は、どこかで交錯していなかったでしょうか。
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