2015/8/30

「発掘!知られざる原爆の図」展小沢節子さん対談抄録  企画展

午後2時より、企画展「発掘!知られざる原爆の図」展の関連企画として、小沢節子さん(近現代史研究者)をお迎えして、対談形式のトークを行いました。
広島や関西からわざわざ来られた方も含めて、大勢の来場者が集まって下さって、会場は急きょ椅子を追加するほどの満席となりました。
小沢さんはじめ、ご来場の皆さまには心から御礼を申し上げます。
対談の報告として、以下に抄録をお送りします。

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●初期三部作と再制作版

小沢 つい先日、岩波書店から刊行されたテッサ・モーリスースズキ編『ひとびとの精神史 第二巻 朝鮮戦争の時代−1950年代』の中で、米山リサさんが「丸木位里と丸木俊ー「核」を描くということ」という文章を書かれていました。そこでは、《原爆の図》は朝鮮戦争の危機感に対応して描かれたのだという読み方がされていました。実は、岡村さんや私も、最近では同様のことを考えていて、とりわけ初期三部作については、1950年に生まれた作品として解読する必要があると述べてきました。

岡村 初期三部作は再制作版が作られて、広島市現代美術館に所蔵されています。

小沢 《原爆の図》は占領下に全国を巡回する。岡村さんがもうすぐ出る本で実証的な研究を発表しますが、丸木夫妻のもとにいた若い画家たちが中心になって描いたと思われる再制作版があります。例えば本作が本州をまわっているときに、その再制作版が北海道を巡回したことも明らかになった。私は15部作以外の《原爆の図》を「外伝」と呼んでいますが、再製作版もその中に位置づけられます。

岡村 再制作版は、線がぼやけた印象で、全体に墨が濃いです。それでも《幽霊》は本作に近い。《火》は同じ構図ですが、人体を朱色でふちどっている。《水》は再制作版に色がつけられて、背景に墨が濃く流されている。本作には墨が流れていないんです。

小沢 後から加筆しているんですよね。再制作版に手を入れて本作と違う作品だと強調する。「複製」ではなくて、「複数」ある《原爆の図》の一つと位置づけようとしたと思われます。

岡村 最初は「複製」という意識でしたが、巡回展が活性化していくと、再制作版も同時並行で《原爆の図》として回っていく。するとオリジナルと違うという議論が起きる。丸木夫妻は、「模写」でなく独立した絵として位置づけなければいけないと考えるんですね。加筆したのは、1970年代に丸木美術館の栃木館ができて、再制作版が常設展示されるときです。

小沢 「複製」として巡回しているときは政治的な役割を果たしていた。巡回展が終わり時間が経過するなかで芸術性の問題が前景化し、「複製」性から「複数」性が重視されるようになったと考えています。

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●原爆長崎之図

岡村 第6部《原子野》が描かれた翌年の1953年に、丸木夫妻は初めて長崎を訪れます。そして描かれたのが《浦上天主堂》と《三菱兵器工場》の2点です。

小沢 《原子野》は占領終結後の作品で、その後に長崎を描く。本当はそこで一段落のつもりだったかもしれない。しかし、1954年に第五福竜丸の被ばく事件が起き、原水爆禁止運動が盛り上がると、今度は同時代のテーマとして《焼津》や《署名》を描く。

岡村 ずっと広島を描いてきたので、違った展開が求められ、丸木夫妻自身も求めていったのかもしれない。ただ、《原爆の図》として描くには長崎というテーマの必然性が薄かった気もします。

小沢 浦上天主堂の聖像と三菱の工場が長崎らしさを出している。

岡村 背景に小さく小学校も描かれていますね。

小沢 城山小学校じゃないかという建物。

岡村 広島の絵には、ランドマークが描かれていない。長崎は逆に、建物が作品名になっている。広島との違いを作るため、長崎特有の建物を描いているのが特徴です。当初は7部、8部として構想されたようですが、結局は広島に戻るんです。後に丸木夫妻が連作に長崎を取り上げるときには、主題が建物でなくなってくるのも興味深いです。

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●入れ替え可能な原爆の図

小沢 第8部《救出》は、3.11後に岡村さんが注目した作品ですね。

岡村 《原爆の図》は爆風・熱線による身体的損傷が描かれるんですが、《救出》の左半双だけは、後から広島に来た人たちが描かれている。つまり2次被爆が示唆される。この画面の余白が、現在と70年前をつなぐと考えました。

小沢 初期の頃とは変わり、わかりやすさが前面に出ている。また、絵の中から観客を見つめる正対した人物が初めて《救出》に登場する。絵の外に向かって主張する人物像は第9部《焼津》でさらに増え、後に《沖縄戦の図》にも出てくる。

岡村 小沢さんの本で指摘されていますが、《焼津》と《署名》も加筆した作品です。

小沢 写実的で、政治的テーマを直接訴える作品だった。これが海外巡回展では受けが良かった。そもそも海外に向けて、日本の被爆体験を訴える一環として描かれた側面もあった。一方、そのわかりやすさが同時代の日本では批判され、《焼津》と《署名》は画集から外れたこともあります。その代わりに入れようとしたのが高野山の絵だった。

岡村 《火》と《水》ですね。この2作が実際に収録された画集もあります。

小沢 最終的には《焼津》と《署名》が入って、高野山が外れるんですが。私たちは《原爆の図》を15部作と思うけれども、この時期は何が《原爆の図》シリーズか定まっていないし、相互に入れ替え可能な作品がいくつもあった。

岡村 第10部《署名》が描かれてから、第11部《母子像》や高野山の絵があるとはいえ、共同制作が復活するまで10年くらい空白があるんですね。1968年に第12部《とうろう流し》が描かれてからは、毎年共同制作が続いていくから、《原爆の図》の歴史の中でも、迷いの時期だったんです。

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●高野山の絵

岡村 高野山の絵は、成福院の摩尼宝塔に奉納されています。塔には「宗教美術館」と書いてあります。先代住職の上田天瑞がビルマで戦死した日本兵の慰霊のために塔を作った。そのとき丸木夫妻は依頼されて2点の絵を描いたんですね。今、《原爆の図》は4mの高さにかけられて、前に大きな梁がある。梯子に上っても、全体が見えない。丸木美術館に持ってきたら、思いのほか大きくて、細部までよく見えました。この絵は、ほとんど俊さんが描いていますね。

小沢 俊さんが描いた油彩画の《原爆の図》の女性像と通じます。《火》の左端に、凄い勢いで飛んでいる子どもが描かれている。《母子像》にも共通するスピード感のある人物の描き方は、俊さんが一人で《原爆の図》を描いていたこの頃の特徴だと思います。「宗教美術館」は、海外で亡くなった日本兵を慰霊しているところなんですか?

岡村 そうですね。本尊のまわりをビルマで亡くなった日本兵の位牌が囲んでいて、その外の回廊に宗教美術やビルマの竪琴のような民芸品が並んでいるんです。

小沢 海外で死んだ日本兵と原爆で死んだ日本人をいっしょに並べて慰霊している。日本の「外」というものが入ってはきているんだけど、まだ後期の《原爆の図》のような意識化はされてない段階でしょうね。

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●とうろう流し

小沢 1968年の《とうろう流し》までの10年間に何があったかというと、丸木夫妻は戦後すぐに共産党に入って、党の芸術家として活動してきたわけですが、1964年にいろいろな人たちとともに共産党を出ていく。同時に世界を巡回していた《原爆の図》も帰ってくる。1967年には美術館を建て、旅を続けていた《原爆の図》をひとつの場所に展示して見せるようになるんですね。そして、《とうろう流し》から共同制作が再開される。この作品は、今回の巡回展にも出ていますが、アメリカの人が見てもモダンに見えるのではないでしょうか?

岡村 そう言われましたね。《原爆の図》の中でも異質だと。

小沢 抽象的なきれいな絵ですよね。ジョン・ダワーさんが、すごく好きだと書いている。いろいろな軛(くびき)から解放された夫妻が、戦後四半世紀を前に、どのように原爆を思い出すかという記憶の働きを描いている。

岡村 これで完結のような作品ですね。

小沢 彼らは、「ここで終わりにしよう」と何度も考えたと思うんですね。最初の一作もそうだし、三部作を書いたとき、占領が終わる段階や、長崎を描いた時点でも、ここで終わりにしようと思ったかもしれない。それでも終わることなく続いていった。

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●後期の共同制作

岡村 1970年に米国展があって、第13部の《米兵捕虜の死》を描くわけですね。丸木夫妻がはじめて加害責任に触れたとされる作品です。描き方もずいぶん違いますね。

小沢 同じ群像でも、人体がデフォルメされて自由になっていく。その後の勝養寺の作品や《アウシュビッツの図》など70年代から80年代にかけて顕著になる人体表現の特徴だと思います。

岡村 第14部《からす》の後、広島市の依頼で初めて壁画を描いたのも重要な転換点でした。広島市現代美術館で公開修復中の《原爆―ひろしまの図》。丸木夫妻は今まで描いてきたテーマをすべて盛り込んだと語っていますが、それまでになかった、野犬が赤ちゃんを食べているイメージも描かれています。

小沢 松谷みよ子との『日本の民話』の仕事に出てくるかもしれない。ショッキングな、民衆的な残酷さに共通するものを感じます。

岡村 《アウシュビッツの図》の髪の毛の山や、《水俣の図》の海を連想する波の渦もあります。それから、たくさんの手が描かれているんですね。手のまわりを朱色でふちどりしているのは、再制作版の《火》を思わせる。手だけが無数に伸びてくるイメージは、勝養寺の絵や《水俣・原発・三里塚》にも出てくる。

小沢 再制作版に加筆をしたのも、ちょうどその頃だったわけですね。

岡村 1977年には、青森の稽古館のために《とうろう流し》を制作しています。第12部と同じ表現ですね。そして1982年に第15部《長崎》が描かれて、《原爆の図》は完結するんですが、当時、「完結」という言われ方はしたんですか?

小沢 聞いたことはないですね。

岡村 他の共同制作が続いているから、もはや《原爆の図》に「完結」という意識はなかったかもしれません。《長崎》は長崎原爆資料館の入口に展示されていますが、よく見ると、被爆者の行列など、同時代に描かれた絵本『ひろしまのピカ』を連想させる表現も出てきます。

小沢 基本的に初期三部作で使われたイメージが、その後も繰り返し出てくるわけですね。

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●勝養寺版の《夜》

岡村 《長崎》と同じ年に描かれたのが、葛飾区の勝養寺に、壁画として組み込まれていた4点の作品。勝養寺が改装される際に丸木美術館に寄託されましたが、4点すべて展示するのは初めてです。

小沢 《アウシュビッツの図》のデフォルメされた縦長の人物像が繰り返され、《幽霊》の後で未完に終わった《夜》が30年後に描き直された。ただ、この絵が夜だったら、ほかの《原爆の図》は昼かというと・・・どれも、昼も夜もない状態を描いていると思うんだけど、あえて夜を描いたんですよね。岡村さんによると銀箔が貼られているということで、今は酸化して黒くなっているけど、描かれた当時はキラキラしていたでしょう。月や星の明かりに照らされる被災者の姿を描くことで、夜を表したのかもしれない。提灯もある。画面左の空白は、そこだけ光が入ってくるように見えて、同時代に描かれた《沖縄戦の図》を連想する。

岡村 ガマ(洞穴)のように見えますね。

小沢 このとき、丸木さんたちは沖縄に入って絵を描きはじめていたんですね。頭の中には《沖縄戦の図》のイメージがあったんじゃないか。

岡村 《火》には、無数に伸びる手のイメージがある。

小沢 千手観音のよう。落ちていく人たちのイメージは、《地獄の図》と似ています。高野山もそうだけど、「最後の審判」のような、劫火に落ちていくイメージかもしれません。

岡村 描かれた男の子は《沖縄戦の図》に出てくるモデルと同じですね。

小沢 これは誰とわかるようなモデルを使ってポーズを描きためて、絵に組みこんでいく。そういう描き方を一貫してやっているんですね。初期の頃は構図を考えているんですが、晩年になるほど、構図を考えない絵になっていく。

岡村 長万部にも母子像の《原爆の図》があって、人間と背景の炎の関係が、次の《高張提灯》に重なります。

小沢 《高張提灯》は1986年ですね。

岡村 勝養寺の《夜》に出てくる提灯が、被差別部落をテーマにしていて、それを本格的に描いたのが《高張提灯》。あまり展示されていなかったので、すごく状態が良く、墨が渇いたばかりのように発色がいいんですね。

小沢 つやつやしてきれいですね。なぜ展示されなかったのかという問題は、わからないこともありますが。

岡村 最後は1992年に描かれた俊の生家の善性寺の《原爆の図》です。

小沢 《幽霊》がひとまわりして戻ってきたような絵ですが、ここまでデフォルメされると、同じようなテーマで同じような人物が描かれても、別の作品のようになりますね。

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この後、質疑応答の中では、アメリカ展の報告も行いました。千葉県から来たという女子大生の《原爆の図》に対する率直で気持ちの良い感想や、アメリカン大学展の最終日にお会いした留学生のお母さんがわざわざ来館して発言して下さるなど、心に残る出来事もありました。

対談を経て、丸木夫妻の共同制作は《原爆の図》15部作だけでは語れない、その他の《原爆の図》も含めて、共同制作全体を視界にとらえて考えていかなければならないとあらためて感じました。作品を見れば見るほど、ますます考えなければならないことが増えていく、というのが正直な実感です。

一方で、その変遷や思考の深まりは興味深いものでありながら、しかし逆に初期作品の絵画としての強度も見逃せません。
表現の自由が奪われたことへの抵抗として描いたから力があるのか。
異質な画家同士が、異質なまま持ち味をぶつけあったから強度が生まれたのか。
これからも、長い時間をかけて考え続けていきたい問題です。
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