2015/8/14

テレビ埼玉「NEWS 930」出演  TV・ラジオ放送

明日からの渡米前に、テレビ埼玉のニュース番組「NEWS 930」にスタジオ生出演して、《原爆の図》について話をさせて頂きました。

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お声掛け下さったのは、同い年の余野誠記者。
これまでにも何度も丸木美術館に取材に来て下さっています。
スタジオでは、波多江良一アナウンサー、早川茉希アナウンサーにお相手頂きました。
お世話になった皆さまに、御礼申し上げます。

備忘を兼ねて、以下に番組内容を書き起こします。

*   *   *

忘れてはならない記憶――戦後70年

【テロップ】戦後70年C海を渡った原爆の図

―スタジオ―
波多江良一アナウンサー 特集です。明日、15日で日本は戦後70年を迎えます。戦争体験者の高齢化が進み、戦争の記憶は年々、確実に失われています。こうした記憶を、どのようにして継承していくのか。テレ玉では、4回にわたってシリーズで考えてきました。最終回の今夜は、広島、長崎に投下された原爆についてです。

早川茉希アナウンサー スタジオには、《原爆の図》で知られる画家、故・丸木位里・俊夫妻にゆかりが深い東松山市にある原爆の図丸木美術館の学芸員・岡村幸宣さんにお来しいただきました。よろしくお願いいたします。

岡村 はい、よろしくお願いいたします。

波多江アナウンサー 《原爆の図》というのは、原爆の惨禍を描いた15部の連作なんですけれども、丸木夫妻が目の当たりにした絶望と破壊の有り様を伝えるため、完成させたとのことですが、この絵の持つ意味について岡村さんはどうお考えでしょうか?

―生前の丸木位里・丸木俊の映像―

岡村 原爆を目の当たりにした丸木夫妻が、二度と同じ体験をしてほしくないという思いを込めて、私たちに託したメッセージのような絵画です。
丸木夫妻の体験だけではなくて、当時生きて、死んでいった無数の人たちの悲しみや苦しみ、それから願いや希望といった思いを器のように受け止めた絵画だと考えています。

―丸木美術館にて、原爆の図《火》、《とうろう流し》、《米兵捕虜の死》の展示風景―

早川アナウンサー この《原爆の図》のうち、代表的な作品《幽霊》、《火》など6つの作品が今年6月、海を渡り、明後日までワシントンのアメリカン大学美術館で公開されています。なぜアメリカでの公開となったのでしょうか?

岡村 それには、数年越しの一人の女性の、アメリカでぜひ《原爆の図》を公開したいという熱意があったんですね。なかなか受け入れてくれる場所がなくて難航していたんですが、アメリカン大学の歴史学者ピーター・カズニックさんが手を挙げて下さいました。アメリカの公的な歴史観というのは、原爆投下は正しかったというものですから、それをもう一度見つめ直そうという勇気のある挑戦だと思います。

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―丸木美術館にて、《原爆の図》の梱包作業風景―
【テロップ】アメリカ・ワシントンへ旅立つ「原爆の図」

波多江アナウンサー ちょうど2か月前になりますけれども、6月13日から明後日まで、およそ2か月間にわたってワシントンでの公開となりました。

―アメリカン大学美術館での作品開梱風景―
【テロップ】ワシントンのアメリカン大学美術館に「原爆の図」が到着

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―作業員によって展示されていく《原爆の図》―
【テロップ】展示されるのは「幽霊」「火」「署名」「とうろう流し」「米兵捕虜の死」「からす」の6作品

―照明が当てられ、会場に美しくならぶ《原爆の図》―
【テロップ】明るい部屋でスポットライトもあたり丸木美術館で見る「原爆の図」より鮮やかな色合い

―展覧会がはじまり、会場を訪れる来館者。それを撮影するテレビカメラと取材スタッフ―
【テロップ】海外のメディアも取材

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―インタビューに答える初老の男性―
【テロップ】
―このような素晴らしい作品は本でしか見たことがなく、今回初めて実際に見ました。
Q 今なお日本とアメリカの間に原爆についての議論があり、この展示はそのための良い機会だと思いますか?
―私は原爆投下の是非について議論することは必要だと信じています。
Q この展示はアメリカの市民が日本で何が起こったかを知るために役立つと思いますか?
―はい、そうであると信じています。

―スタジオ―
波多江アナウンサー 岡村さん自身も現地に行かれて、今のインタビューのカメラを回しているのは岡村さんご自身なんですけれども。

岡村 はい、そうなんです(笑)

波多江アナウンサー 実際、丸木夫妻の絵をご覧になった来場者は、どんな表情をしていたのか、作品を見てどんなことを感じたのか、教えて下さい。

岡村 まず、アメリカにとっての原爆のイメージは、キノコ雲の上からのもので、原爆を落とした飛行機が英雄になるんですね。ですけれども、丸木夫妻の《原爆の図》はまったく逆で、キノコ雲の下にいる人間の姿が等身大で描かれている。その大画面に向き合って、国境を越えて一人の人間として絵の中の人びとに共感している、そういう思いが非常に強く伝わってきました。

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―アメリカン大学《原爆の図》展示風景、続いて会場で絵を見る人びとの姿―

―スタジオ―
早川アナウンサー アメリカでは、「戦争の終結を早めた原爆投下は正しかった」と原爆投下を肯定する考え方が根強いと言われています。
しかし、先日アメリカの調査会社が行った原爆投下に関する意識調査で、ご覧のように65歳以上の世代の70%近くが「正しかった」と回答したのに対し、18歳から29歳の若い世代では45%が「間違っていた」と答えたということなんですね。アメリカの人たち、特に若者の意識の変化について岡村さんは感じ取ることはありましたか?

【テロップ】
Q広島と長崎に原爆を投下した判断(アメリカの調査会社調べ)
▷65歳以上 正しかった65% 間違っていた15%
▷18〜29歳 正しかった41% 間違っていた45%

岡村 この調査だと、若い世代は逆転しているんですね。もちろんアメリカは多様な国なので、地域とか教育の差もありますから、まだまだ認識を変えていく必要もあるでしょうけれども、若い世代は比較的いろんな情報にアクセスできて、アメリカの歴史を相対的に見ることができるのかなと思います。
それから、カズニックさんのような、原爆投下は本当に正しかったのかという問題提起をしながら、普遍的な人間の感覚から原爆について見直していくという働きかけが、少しずつではあるけれども世論を変えていると実感しますね。

波多江アナウンサー お知らせの後も岡村さんにお話を伺います。

〈CM〉

―スタジオ―
波多江アナウンサー 戦後70年特集、引き続き原爆の図丸木美術館学芸員の岡村さんにお話を聴いていきます。さて、《原爆の図》のアメリカでの公開ですが、ワシントンでの公開が明後日までなんですね。その後、来月8日からはボストンで、11月からはニューヨークと続いていくんですよね。

岡村 そうですね。私も明日飛行機でアメリカに行って、ワシントンの最終日の様子を見てこようと思っています。その後、展覧会を終えて、《原爆の図》をまた梱包して、ボストンに送り出して帰ってくるんですけれども、9月の頭にはまたボストンに行って、展覧会の準備をするという、この後はなかなか慌ただしいスケジュールが待っていますね。

早川アナウンサー お忙しそうですね。また、アメリカのオバマ大統領も、この展示に招待しているそうですね。

岡村 実は、ワシントンの展示のときに、アメリカン大学でオバマ大統領が講演をする機会があって、ぜひ会場にも足を運んでほしいという打診もあったんですけれども、残念ながら実現することはありませんでした。おそらく政治的な影響力を考慮したんだろうと思うのですが、まだこの後も東海岸でボストン、ニューヨークと続きますので、ぜひオバマ大統領には、一人の人間として、《原爆の図》の前に立つ機会を設けて欲しいと願っています。

波多江アナウンサー 日本に話を移しますと、今年いっぱい《原爆の図》の代表的な作品は海外に渡っていますので、東松山市の丸木美術館では見ることができないんですけれども、その一方でこの間は、丸木夫妻の別の《原爆の図》も展示されているんですよね。

岡村 そうなんです。《原爆の図》というと、どうしても15部連作が一般的なんですけれども、実はそれ以外にも全国各地に番外編ともいうべき《原爆の図》がたくさんあるんですね。絵がいくつもアメリカに行っているという機会を逆に生かして、今回はふだん見られない作品をじっくり見てみようと。《原爆の図》の歴史をトータルで見つめ直す戦後70年にしようという試みを、いま丸木美術館でやっています。

―「知られざる原爆の図展」会場風景の紹介―
【テロップ】「原爆長崎之図」二部作/「浦上天主堂」/「三菱兵器工場」

―スタジオ―
早川アナウンサー また、丸木夫妻が《原爆の図》の制作に取り組む短い映像が新たに見つかって、美術館で公開されているということですね。

岡村 はい。これも貴重な映像なんです。《原爆の図》が描かれた当初、1950年の制作風景が写っているという、非常に珍しいもので、面白いのは、この映像のなかで「原爆」という言葉が一度も使われていないんですね。当時、アメリカ軍を中心とする占領軍が日本を統治していて、原爆についての報道が厳しく禁じられていたんです。それで、このフィルムも、検閲に引っかかってしまうだろうというので、「原爆」という言葉を使わずに紹介する工夫が見て取れるんですね。

―映像「芸術は愉し」上映展示風景―
【テロップ】新たに見つかった「原爆の図」製作風景を撮影した映像

―スタジオ―
波多江アナウンサー この初期の時代と言いますと1950年代ですから、終戦から5年なわけですよね。そうした中で《原爆の図》を描く夫妻、しかし、「原爆」という言葉を禁じられているという、いろんな苦悩とか、政治的な背景ももちろんあると思うんですが。

岡村 今想像するよりも、ずっと危険が大きかったと思います。

波多江アナウンサー そうした危険と隣り合わせの中でもしっかりと描き続けて、ですから後世と言いますか、この時代も作品として残っているということなんですね。
おしまいになりますけれども、冒頭から申し上げています通り戦争体験者の高齢化が進んで、その記憶は失われつつあります。丸木夫妻の戦争、そして核への怒り、さらには平和への思いを、岡村さん自身は今後どのようにして継承していくべきだとお考えでしょうか。

岡村 70年前の、しかも他人の記憶を継承するということは、非常に難しいことだと思うんですね。ですけれども、その困難に向かって試み続けるということが大事なのではないかと思います。悲しみの記憶を学ぶということは、過去の歴史を知るだけではないんですね。今を生きる私たちが、命をどうとらえて、これからどんな世界を作っていくか、考えるための道しるべになると思っています。
本当の「平和」というのは、自分ではない他人の痛みをどう想像して、立場を超えて共感していくかということだと思うんですね。そのための力を、《原爆の図》は私たちに与えてくれると考えています。

―生前の丸木位里・丸木俊の映像など―

―スタジオ―
波多江アナウンサー そういった作品からもそうですけれども、われわれ世代、さらにはもっと若いお子さん世代たちがしっかりと風化させないようにしていかなくてはいけないと、そんなふうにも感じました。今日は原爆の図丸木美術館学芸員の岡村さんにお話を伺いました。
岡村さん、どうもありがとうございました。

早川アナウンサー ありがとうございました。

岡村 ありがとうございました。

【了】
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