2006/2/26

赤松俊子 南洋ノートよりC  作品・資料

21日午前6時 ツツタウの声もきかずに朝寝の旅人は、朝食を忘れて、山をかけ下りる。突堤の先で船の人たちのみそ汁が、青いはつぱを浮かせて煮立つてゐた。塩つぱい酢い匂ひが腹にしみて、ジユツとつばきが舌の奥ににじみ出た。
今日も船べりで歌を唄ふ。いつどこからのつたのか陽気な唇のうすいまつげの長いカナカの娘が、寄つてきて肩をたたく。
『あんたも友達だ、コンパニーになるよ』
『うん うん』
とびつくりしてゐる私をほつといて一人でしやべつて一人でうなづいてゐる。
眉を上げて目を一寸下見使ひにあごを前にほんの少ししやくつて『うん うん』とうなづいてみせる。
この茶褐色の陽気なブロンズは仲々ゆるやかなゼスチュアで、なめらかな魅力がある。
二人で肩をくんで唄ふ。
あの唄もこの唄も、キーンとのどをはつて、高く唄ふ彼女の声。なげやりな捨ててしまつた、どこにも勿体ぶつた所のない姿だけに、悲しいまでに人をひく力を持つた娘である。
『ほれ、たべなさい』
にゆつとつき出す、見るとビンロー樹の實に石灰をふりかけて、ギムァ(カブイ)の葉でまいた、例の、島民たちが赤いつばきをペツペツと地べたへはく、あの實なのである。
受け取つて、一寸ながめたが、そして彼女の顔をみると、目と口が、『どう?』と言つてゐるので、思いきつて、ガリッと喰ふ。ヒリヒリする石灰の味が舌をさす。多少がまんはしてゐたのだがよほど妙な顔をしたらしい、
『舌がやけるから石灰を少しにしなさい』
と笑いながら彼女は言ふ。だがもうかんでしまつた石灰は舌にべつとりついてはなれない。
『ベツ』と海にはき出すと、緑にわき立つ波に、もう眞赤な汁がはき出されて消えてゐた。
『ベツペツ』とつづけてはき出す。皆眞紅のつばきだ。はき出しながら海を見てゐると、咬んだ右の方の歯の上からぽーつと熱くなつて、それが頭の右側に廻り、それが徐々に左側の方へも廻つて、熱く、ゆらりゆらりとたゆとうて行った。
『頭が熱い』と頭を指してみせると、『うん、そうか、ねよう』といきなり肩をつかんで船室へ連れて行つた。
むんむんとむせる船室に、茶褐色の島民も、それに近い陽やけした邦人の男たちもほんの八畳足らずの船室につめ寄つて寝てゐた。私たち二人もそのほんのわづかのエンヂン室の側にある壁を取つて細長くねた。彼女は頭が痛いかとひたひをさすつてくれたが、その銀の指輪をはめた裏の桃色の手は、肢体からくるなよやかさに比して、ゴソリと硬い感触だったのでびつくりした。それから黒びかりする彼女の二の腕に受けるエンヂンの振動をながめてゐるうちにすっかり寝こんで仕舞つた。
カヤンガルに着いたといふ声を聞いて、いつものやうにパツとはね起きようとすると、ベタベタした汗でびつしよりになつてゐてしかも船室はむんむんと息苦しく暑い空気で一つぱいだつた。
(つづく)
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