2015/2/22

特別トーク「『南洋群島』とその後のマーシャル諸島」  イベント

午後2時より、マーシャル諸島のテンポー・アルフレッドさん(アイルック自治体議員、写真左から3人目)、ロザニア・アルフレッド・ベネットさん(マーシャル諸島国会元職員、写真右端)をお迎えして、明星大学教員・丸木美術館評議員の竹峰誠一郎さん(写真左端)の企画により、「『南洋群島』とその後のマーシャル諸島」と題する特別トークを行いました。

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かつては「南洋群島」として日本統治下にあったマーシャル諸島。
日本からの移民も多く、最盛期は現地住民をはるかに上回る人口があったといいます。
もっともその6割が沖縄からの移民で、朝鮮半島からも2000人ほどが渡っていたそうです。
戦後は、すぐにアメリカの核実験場となり、第五福竜丸の被ばくで知られるブラボー実験をはじめ、67回に及ぶ核実験で海や空を汚されて、住民たちも被ばくします。
朝鮮半島や台湾なども含めて、戦後の日本の「平和」や「復興」が、いかに旧植民地の犠牲の上に成り立っていたかを、あらためて考えさせられます。
いまだに島ごと要塞化したような犠牲を払い続けている沖縄も、もちろんのこと。

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トークでは、ロザニアさんの母親・クレドールさんのインタビュー映像も流されました。
クレドールさんの父親は、「フジタ」という名の日本人。しかし、彼女は父親に一度も会ったことがないそうです。
マーシャル諸島北部のウォッチェ環礁の公学校に通っていた彼女は、戦争で一年もたたないうちに学校が閉鎖し、日本軍によって島を追われて穴の中に逃げたとのこと。
今回の来日は、その父親の足跡を探すという目的もあるようです。

テンポーさんは味わいのあるマーシャル語でのトーク。井戸端会議風の進行で、食糧を独占する日本軍の「ソーコ」をパイプで突いて穴を開け、落ちてきた食糧を確保したことや、日本兵の命令で貝や魚を集めてくる途中で自分たちの分を確保していたという話を生き生きと回想して下さいました。

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トークの後は、館内を見学。
原爆の図第9部《焼津》の前で絵に見入る(左から)ロザニアさん、テンポーさん、そしてロザニアさんの息子のマーカスくんです。

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閉館後は、通訳やボランティアの方がたといっしょに、近くの日本料理店で打ち上げ会をしました。テンポーさんはウクレレを弾き、自作の歌を披露して下さいました。

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竹峰さんによれば、マーシャル諸島では、職業的な歌手というより、誰でも普通に作詞作曲して歌う文化があるとのこと。
日本の冬は「寒い、寒い」と、丸木美術館でも小高文庫(休憩室)のこたつ(人生初体験のこたつだったようです)にかじりついていたテンポーさん一行ですが、このときばかりは温かな南の風が吹いたような心地がしました。
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