2015/1/30

【東北出張初日】萬鉄五郎美術館「晴山英展」/花巻市博物館「宮沢賢治展」  他館企画など

あいにくの雪模様でしたが、朝から東北新幹線に乗って新花巻へ。今回は東北出張です。
新花巻駅からは、宮沢賢治がかつて“銀河鉄道”に見立てた岩手軽便鉄道―釜石線に乗り換えました。

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現在も単線、気動車という素朴な路線。
雪のなかをヘッドライトの明かりが近づいてくる光景は、なかなか心を揺さぶられます。

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あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。

オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。

大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。


列車到着の時間が近づくと宮沢賢治の「星めぐりの歌」が流れます。
それぞれの駅にはエスペラント語の愛称が掲げられています。
たとえば、新花巻駅はStelaro(ステラーロ:星座)、土沢駅はBrila Rivero(ブリーラ・リヴェーロ:光る川)といった具合。

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土沢駅を降りて、町並みを見渡せる小高い丘に上ると、萬鉄五郎記念美術館があります。
《裸体美人》など、フォービズムを日本でいち早く取り入れた作品で知られる土沢出身の画家・萬鉄五郎(1885-1927)を記念する、小さいけれども人気の高い美術館です。
私も10年ほど前に訪れて、美術館へ行くまでの町並みや坂道、高台からの風景も含めて、すっかり気に入ってしまいました。

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現在は企画展として「晴山英展―湧きあがる色彩 未知なるフォルム―」を開催中。

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晴山英(1924-2011)は片瀬時代の丸木夫妻のアトリエに住み込んでいた画家で、初期《原爆の図》の頃、人物デッサンのモデルにもなっていました。
なぜ丸木夫妻のもとにやって来たのか、詳しい履歴はよく知らなかったのですが、盛岡の出身(父親は萬鉄五郎記念美術館のある東和町出身とのこと)で、深沢省三・紅子夫妻の岩手美術研究所に通っていたことが縁で、俊を紹介されたようです。

当時の様子を、晴山は次のように回想しています。

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 ある日一通の手紙が私の手元に舞い込みました。神奈川県片瀬の赤松俊子からのものでした。ここに来て勉強しないかと。
 終戦後の暗澹たる時代のことです。当時、桜山神社境内には闇市があり、古着などを売っているお店が立ち並んでいました。
 私のために苦労して作ってくれた母の思いを全く無視して、箪笥をすっかり空にして、着物を売ったお金はえのぐ箱に換えて、トンネルの多い東北本線の汽車に乗ったその日から、私の生活は一変しました。
 目白山での日々は、夕暮れ七時というと、どこからともなく現れる絵描き達と共に、毎日のようにデッサンを描き続けました。山は静まりかえって、紙の上を走るコンテの音が耳を掠めるばかりでした。その場に居た者みんなが交替でモデルになるのです。
 その明け暮れの中で丸木位里、俊夫妻の原爆の図第一作「幽霊」が完成されていきました。
 後になって前衛美術会で中村宏・尾藤豊の二人が「あ、晴山さん梁山泊にいたの!」と驚いていましたが、目白山のアトリエはさながら若き絵描き達のアジトといった風でした。若くして晩年を迎える、いわさき・ちひろや、のちに美術評論家となるヨシダ・ヨシエも常連の一人でした。
 「どんな草でものぉ、一度は花が咲くんよ。みてみいホレ。こげな、こぉまい草でものぉ、花が咲いとる。人もおんなじよ。―わしぁ、今が花じゃ」と爽やかに笑う八十歳の丸木スマ。当時の院展に無垢な画風で登場した異才は山羊を連れて、私より速く鎌倉山を駆け回り、目白山にときどき現れるマムシを起用に小技をもって捕らえ、一升瓶につめ込むのです。
 やがて目白山をはなれた私は雪が谷大塚に住むようになりました。


(晴山英「人遍歴はとどまることを知らず、果てもなく。」より、萬鉄五郎記念美術館「シリーズZ[岩手の現代作家]」図録、2000年)

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1950年代はじめに描かれた油彩の人物画も3点出品されていて、俊の影響を感じる作品もありますが、晴山は丸木夫妻が1950年に離脱した後も前衛美術会に残り、その後は山下菊二や中村宏を思い起こさせるような作風を試みたりしています。

私が知っている晴山の絵は、1980年代頃から亡くなるまで繰り返される心象風景のようなシュルレアリスムの作品。
展覧会も数で言えば圧倒的にそうした作品が多いのですが、今展では、H学芸員がアトリエから初期の作品を掘り起こしたのが大きな成果といえるでしょう。

ちなみに、丸木夫妻のデッサン会に参加していたときの人物デッサンも含め、デッサン・スケッチの類は、まったく残っていないとのこと。
晴山が自らの作品について語ることはほとんどなく、経歴も含めて不明な点が多い画家なので、今後の調査研究に期待したいところです。

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土着的なシュルレアリスムというか、謎めいた彼女の絵が、ただでさえ迷路のような萬鉄五郎記念美術館に展示されると、一層混沌とした空間になります。

最初期の人物を描いた3点のみ額装されているのですが、その他の作品は、思い切って額入りの作品も額から取り出して現代風に展示する、というのがH学芸員のアイディア。
そして、それはとても成功しているように見えました。

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H学芸員にご挨拶した後、美術館に併設されている八丁土蔵ギャラリーも見せて頂きました。
1992年に萬鉄五郎生家の土蔵を移築復元した施設で、東日本大震災の際に壁が崩落、修復を機に地元芸術家を紹介するギャラリーとカフェをはじめたそうです。
現在は、地元花巻市東和町出身の美術家・新田コージ展を開催中(2月1日まで)。
小品ですが、土蔵の空間によく調和していました。

その後はH学芸員に車で新花巻駅まで送っていただき、観光案内所に荷物を預け、傘をお借りしてから、花巻市博物館へ歩いていくことにしました。

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新花巻駅周辺には、宮沢賢治に関するモニュメントがたくさんあります。
「セロ弾きのゴーシュ」をモチーフにしたレリーフは、近づくとシューマンの「トロイメライ」が自動で流れ出します。

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キック、キック、トントン。
キック、キック、トントン。
キック、キック、キック、キック、トントントン。


降りしきる雪のなかを、賢治作品のモニュメントを頼りに歩いていくと、花巻市博物館にたどりつきます。
「雪渡り」のモニュメントもありました。

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現在、宮沢賢治記念館は、開館以来の大規模なリニューアル工事を行っているため、残念ながら閉館中とのこと。
その代わりに、花巻市博物館が企画展として「宮沢賢治の世界」展を開催しています。

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チェロなどの遺品や初版本を中心に、自作絵画の複製、石のコレクションなど、賢治の生涯をコンパクトに紹介する展示。
文学作品の世界を、視覚的な展示で見せるのはなかなか難しいと思うのですが、賢治の場合は視覚資料が豊富にあります。
そして、文学作品そのものも、非常に視覚的イメージを喚起させます。
丸木俊も賢治作品の角川文庫版の表紙画などをいくつか手がけていますが、その他にも数多くの芸術家が賢治の作品に触発されて表現しているのも、わかるような気がします。

   *   *   *

翌日は朝9時から宮城県美術館で「わが愛憎の画家たち―針生一郎と戦後美術」のオープニングがあるので、夕方の新幹線で仙台へ移動して、針生さんの娘Cさんご夫婦や韓国美術評論家のFさんらと駅前の牛タン屋で合流。

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仙台を訪れるのは初めてでしたのですが、牛タン定食に日本酒「日高見」を飲み、かまぼこを炭火で焼いて、まずは腹ごしらえ。

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ホテルでは露天風呂に浸かり、サービスの夜泣きそばを食べ、出張続きの疲れを癒しました。
外は雪が積もっています。明日のオープニングが無事に開催されることを祈ります。
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