2015/1/26

ギャラリー古藤「表現の不自由」展  他館企画など

休館日。東京・練馬のギャラリー古藤で開催されている「表現の不自由展 消されたものたち」に行ってきました。

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永田浩三さん、岡本有佳さんを共同代表とする実行委員会による、展示中止や作品撤去、掲載拒絶、検閲、自粛など公開の機会を奪われた芸術表現を集めた好企画です。
「表現の不自由」とは、かつて赤瀬川原平さんが千円札裁判の後に開催した展覧会名からの引用でしょう。

出品作品は、安世鴻《重重―中国に残された朝鮮人日本軍「慰安婦」の女性たち》、大浦信行《遠近を抱えて》、貝原浩《鉛筆戯画》、キム・ソギョン&キム・ウンソン《平和の少女像》、中垣克久《時代の肖像》、山下菊二《弾乗り No.1》など。

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今展の目玉とも言うべきキム夫妻の《平和の少女像》は、隣りの椅子に座ることができます。
あらためて間近に彫刻を見ると、物語性の豊かな作品であることに驚きました。

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他者によって無造作に切られた不揃いの髪。
緊張感のある瞳、固く結んだ口元。

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ひざの上でじっと握りしめた手。

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踵を少し浮かせ、不安定な状態になっている素足。

ブロンズとはまた印象の違う、彩色されたFRPの像は、少女が、血の通った人間であることを感じさせます。
隣りの壁面に目を移せば、安世鴻さんの《重重》が。
時間の経過を感じさせるように、キュレーションにも工夫を凝らしています。

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会期中には多くの上映会やトークイベント、パフォーマンスも企画され、日本社会における「タブー」とは何かを整理して考えることのできる内容になっています。

美術館に働く者として省みれば、丸木美術館にも決して「タブー」がまったくないというわけではなく、「表現の自由」を行使する難しさを日々感じています。
どのような社会、どのような組織においても、「表現の不自由」はついてまわるのかもしれません(そして、それが一概に悪いと言えない場合もあると思います)。

とはいえ、芸術表現の本質は、必ずしも公序良俗を補強するのではなく、むしろその境界線を拡大し揺さぶる可能性を内包するもの。
その意味では、「芸術か、犯罪か」という問いは、実は成立しないのかもしれません。
法秩序とは別の枠組みの中で世界へのまなざしを掘り下げることこそ、「芸術の自律」ではないかと思います。
「消される」あるいは「罪に問われる」運命を背負いつつ、社会の現実に対峙していった腰のすわった芸術表現を守り、支えて行くのも、成熟した文化の証でしょう。

アライ=ヒロユキさんの論考「いまなにが問われるべきか「隠蔽と禁止」が脅かすもの」をはじめ、作品・ゲスト紹介、関連年表、関連資料一覧などを掲載したパンフレットも充実していて、読み応えがありました。
この展覧会を企画し、支えている大勢の方々の努力に、心から敬意を表します。
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