2015/1/24

【関西出張2日目】高野山成福院摩尼宝塔《原爆の図》調査  調査・旅行・出張

朝、広島大学のKさんと台湾・淡江大学のLさんと大阪難波駅で待ち合わせ、南海電鉄高野線に乗って高野山へ向かいました。

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終点の極楽橋駅からは、ケーブルカーに乗ります。

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日本有数の急勾配の路線。約5分間で一気に330mほどの標高を登りました。

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高野山駅からはバスに乗り、目指すは成福院。

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ビルマ(ミャンマー)の戦没者を慰霊するために建立された摩尼宝塔に、《原爆の図》が2点奉納されているのです。

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はじめに、成福院の入口で挨拶をすると、宿坊の一室に通されました。
ふと床の間を見ると、丸木俊の筆による掛軸をかけて下さっていました。

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丸木夫妻と意気投合して壁画の制作を依頼した先代住職・上田天瑞の肖像です。
彼は1941年に南方仏教研修のため高野山大学より派遣され、やがて陸軍嘱託としてタイからビルマ戦線を体験、ビルマで日本語学校を創設した後に陸軍職を辞し、一介のビルマ僧となって研修に励み、1944年に帰還したという経歴の方。
戦後は遺骨収集団に参加してビルマを訪れ、慰霊のために摩尼宝塔を1958年に着工、1960年に第1期工事が完成したとのことです。
1959年6月の『美術手帖』第158号には、丸木夫妻の《原爆の図》もそのときに壁画として奉納されたと記されています(3月26日『山陽新聞』からの転載)。

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建立当時は壁画だった《原爆の図》は、やがて塔の改装を機に壁から外されて額装され、現在は少々高い位置に展示されています。
湿気の多い場所なので、画面も傷みやすく、地面から離して保管しているとのことです。

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建物の梁などがあって全体像が見えにくいのですが、《原爆の図 火》。
縦2.1m、横2.7mの大きな作品です。
『美術手帖』の記事には、「全身に火を浴びた被災者が川を渡って逃げてゆくせいさんな光景を描いた」とあります。

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そしてその奥には、《原爆の図 水》が展示されています。
同じく『美術手帖』によれば、「こどもが、息をひきとろうとする被災者に水を与えようとしている場面」とのこと。

このふたつの《原爆の図》が制作されたのは1959年。
当時、《原爆の図》10部作は世界巡回展の最中でした。
『美術手帖』の記事には、「もう原爆の図は描きたくないと思っていたが、新しい絵を描いているうちに、前の絵で描き落としている部分が多いことを発見した。これを機会にさらに原爆の図を描き続けたいと思っている」という丸木夫妻の言葉も紹介されています。

実際、5月には原爆の図の続編となる第11部『母子像』が、毎日新聞社主催の第5回日本国際美術展に出品されています。
つまり、10部作でいったん“完結”したと思われた《原爆の図》が、この連作の制作を機に、再び描かれはじめることになったというわけです。

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《火》は、俊の筆によるアクロバティックにも見える人物表現が印象的です。

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人間の体や髪の毛、炎の流れるような勢いが凄い作品。

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炎の朱の色が薄暗い塔の内部に浮き上がります。

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一方、色調を抑えた《水》の画面では、珍しくバケツや柄杓などの生活用品が描かれているのが目にとまります。

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高野山に収めることを意識したのか、横たわる男性が数珠を持ち、祈りを捧げているように見える描写もあります。
この白い数珠は、写真ではうまく伝わらないのですが、実際に暗闇のなかで見ると、大きな存在感を放っています。

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狭く薄暗い空間に、戦没者慰霊碑や曼荼羅とともに掲げられているのですが、それがかえって不思議な調和を見せています。

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塔内に展示されたビルマ関係の展示も、さまざまな意味で興味深いものでした。
戦後に現地で収集してきた遺品や、戦時中の日本軍の写真なども数多く展示されています。

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ビルマの人形も非常に面白い造形です。

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ビルマといえば、竹山道雄の『ビルマの竪琴』。
先代住職の経歴も、かの物語を彷彿とさせますが、展示品のなかでも“ビルマの竪琴”がやはり印象に残りました。

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《地獄絵図》も展示されていました。
《原爆の図》と《地獄絵図》が同じ空間で展示される機会も、案外珍しいような気もします。
炎の描写などの共通点もあり、違和感はあまりありません。
《原爆の図》が現代の《地獄絵図》だということを、あらためて考えさせられます。

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冬の高野山はさすがに空気が冷たく、すっかり冷え切ったわれわれの心身を温めてくれたのは、部屋に戻ってから頂いた美味しい鍋焼きうどんでした。

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成福院を出た後は、せっかくなので高野山を散策。
総本山である金剛峰寺を訪れ、霊宝館や大伽藍なども見学しました。

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下山した後は神戸・三宮駅に出て、原爆科研のメンバーと打ち合わせ飲み会。
私以外の皆さんは皆、大学で教える文学の研究者なのですが、最近はすっかり顔なじみになり、いろいろな刺激を頂いています。
明日は神戸外国語大学にて、科研調査の発表会があります。
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