2015/1/17

【米国出張第5日】ホロコースト記念博物館  調査・旅行・出張

午後のワシントンD.C.発ニューヨーク行の特急アムトラックの発車時間まで少し余裕があったので、午前中は再びスミソニアンに向かい、ホロコースト記念博物館(United states Holocaust Memorial Museum)を見ました。

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立地としてはスミソニアンの端にある博物館でしたが、行ってみると大勢の人たちが見学に訪れていて、博物館の外の道路まで行列ができているほどでした。

来場者には、初めに必ず、IDENTIFICATION CARDが配られます(写真右)。

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表紙を開くと、ホロコーストを体験した人物のプロフィールと顔写真が掲載されていました。
私がもらったものにはポーランド生まれのMichal Scislowskiという名前がありましたが、どうやら周りの人たちのものを見ると、一人一人違っているようです。

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4階までエレベータで上がり(まるで収容所に送られるような金属製の無機質なエレベータでちょっと怖い)、その後、1階ごとに展示を見終わった後に1頁ずつ身分証の頁をめくって、Michal Scislowskiという人物がどうなったのか―死んだのか、それとも生き残ったのか―自分がその人になったつもりで、消息をたどっていくというわけです。

4階の展示は、ナチの台頭がどのようにして行われていったのかを、豊富な映像などの資料によって、丁寧に解説していました。
不況に陥ったドイツにおいて、単純明快なスローガンで経済政策を訴え、人びとの心をとらえて選挙で多数の得票を得ていった様子や、メディアを統括して反対派の声を封じていく政治手法からは、まるで国家を「取り戻す」、「この道しかない」という言葉が重なるような気がして、背筋の寒くなる思いもしました。

当然ながら危惧を抱いていた人もいたし、実際に抵抗運動さえあったにもかかわらず、結果的に「民主的」な手続きを踏まえて力を伸ばし、強力な独裁政権が築かれてしまったのだから、人間社会は本当に不可解で、矛盾に満ちたものだと思います。

希望に満ちた輝かしい瞳の青年団「ヒトラーユーゲント」の映像も紹介されていました。彼らにその後、どんな任務と運命が待ち受けていたのか、想像すると痛ましい気持ちになります。
殺された側も殺した側も、人間が人間でなくなっていくのだろうと思います。

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3階へ降りて行くと、展示のテーマは「Final Solution」(最終解決)と記されていました。
ユダヤ人たち(ユダヤ人だけではなく、ロマや障碍者、戦争捕虜、同性愛者、政治犯なども含む)の大虐殺へと向かっていく過程が展示されているフロアです。
強制収容したユダヤ人たちを移動させるための木製の貨車が展示されています。小さな窓が申し訳程度に取り付けられているだけの、薄暗い貨車です。

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ワルシャワのゲットーを囲む壁も再現されていました。
家具や衣服、食器など、困窮した生活の様子が、実物展示によって示されます。
街なかで容赦なく暴力が振るわれ、男女の別なく衣服を引き剥がされ、命を奪われるまで労働を強いられていく。これほどまで人間の尊厳を奪うことができるのかという苛烈な映像も見ることになります。

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“Arbeit macht frei”―働けば自由になる―という、アウシュビッツ強制収容所の門も再現されていました。
もちろん、自由どころか、そこには悪名高いガス室があり、貨車で連れて来られた人びとは、最初に選別されて、老人、女性、子どもたちを中心とする弱者はそのままガス室に送られて殺されたと言われています。

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展示室をつなぐ廊下には、無数の靴の山。
最後の私物さえ奪われた人びとの先にあるものが何であったのか。

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代々ユダヤ人の家族たちを撮り続けていた写真館の写真も、フロアを縦断するように天高く展示されています。
靴も、写真も、まるでインスタレーションのような存在の力を放っていました。

最後の2階は、アメリカ、イギリス、ソ連によって解放された際の収容所の記録映像と、生存者たちの証言の展示。
犠牲者を追悼するための立派な空間も設置されていました。

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私が人生を追体験することになったMichal Scislowski氏は、かろうじて収容所生活を生き残り、戦後は数年間米軍とともに働いたとのことです。

その後は……どうなったのでしょう。
博物館は、イスラエル建国とその後に続くパレスチナの問題については触れていません。
これほど過酷な体験をした人々が、今度は別の場所で、別な人たちをまた過酷な状況に追いやっていく。その歴史の皮肉もまた、考えずにはいられません。

そして私たちもまた、そうしたさまざまな残酷な運命に、直接的・間接的に関わりながらこの世界に存在しているのだということも、忘れてはいけないのだと思います。

ホテルに帰って荷物を引き取り、ワシントンのユニオン駅からニューヨークのペン駅まで特急で3時間の行程。
見るべきものを見、やるべきことをやって、米国出張はいよいよ終わりに近づいてきました。
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