2014/9/19

【韓国出張@】ノグンリ平和公園/第8回国際平和博物館会議初日  調査・旅行・出張

昨日から、K理事長夫妻とともに、第8回国際平和博物館会議に参加するため、韓国中部の忠清北道永同郡黄澗面にあるノグンリ(老斤里)に来ています。

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昨日は一日がかりで滞在するホテルに到着し(仁川国際空港からバスで4時間の山間部にあります)、今日も朝からバスにのって、近くのノグンリ平和公園に向かいました。

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現在はのどかな美しい景色が広がるノグンリですが、朝鮮戦争(韓国の呼称は韓国戦争)初期の1950年7月25日から5日間、米軍兵士による無差別攻撃によって数百人の市民が虐殺された場所であり、3年前に立派な平和公園が整備されました。

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会議の登録を済ませた後は、まず平和記念館に向かい、ノグンリ虐殺事件についての映像・展示を見学しました。

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朝鮮戦争がはじまって1か月後、南に向けて敗走を続ける米軍は、戦乱に巻き込まれた永同郡の住民たちに避難勧告を出します。
米軍の指揮により京釜線の線路を南下した地域の農民たちでしたが、7月25日午後、米軍兵士たちは本部と無線連絡をした後に、避難民から鍬や鎌など武器になりそうな道具を取り上げ、そのまま置き去りにして姿を消しました。

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その直後、突然現れた米軍の戦闘機が機銃掃射を開始。
さらに鉄橋下の水路用トンネルに逃げ込んだ避難民に3日間にわたって銃撃を続け、女性や子ども、老人を中心とする数百人の命が奪われたそうです。

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展示室には、虐殺現場の位置を示すジオラマも展示されていました。

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水路用トンネルを模した通路を歩いていくと、機銃掃射の音とともに、激しくトンネル内が光ります。米軍の無差別攻撃を追体験する展示です。

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トンネルを抜けると、事件の後の真相解明に向けての活動の様子が紹介されていました。

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この事件は、韓国国内でも長く封印されていましたが、1994年に事件で家族を失った鄭殷溶氏が『我らの苦痛を誰が知ろう』と題する本を出版したことを機に、真相解明の活動がはじまりました。
当初、米国政府は「記録がない」として事件を認めませんでしたが、メディアなども徐々に取り上げはじめ、元兵士からの証言も出てきて、2001年には米国のクリントン大統領が遺憾の声明文を発表します。
昨年にはアメリカの秘密文書が解禁され、虐殺事件に関するファイルも発見されたそうです。

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記念館見学の後は、近代文化遺産として登録されているノグンリ双窟橋に向かいました。
いまだ銃弾の痕が生々しく残る虐殺現場です。

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〇印で囲まれているのが弾痕、△印で囲まれているのは、まだ中に銃弾が残っている場所だそうです。

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こうした痕が数えきれないほど、壁やトンネルの天井に残されています。

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トンネルの片方は通路、そしてもう片方は水路になっています。
激しい銃撃のなかで幼い子どもの泣き声が響くと、そのせいで狙い撃ちにされると避難民のあいだで責められ、親がみずから子どもの顔を水に沈めて殺すこともあったそうです。
その話を聞いて沖縄戦を想起しましたが、住民が地上戦に巻き込まれたという点で、状況はとても似ていたのだと思います。

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トンネルを見下ろす高台には、犠牲者を追悼する小さな石碑も建っていました。

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ノグンリ平和公園内には、ほかにも、当時の避難民の姿を刻んだ慰霊塔や、母子像などの彫刻作品が並んでいました。

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   *   *   *

見学の後は、会議ホールに集合して祝辞や挨拶などの開会セレモニーが行われました。
世界32か国から160人が参加するという、規模の大きな国際会議です。

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もっとも、参加者の半数は隣国の日本から来ています。
実は、平和のための博物館国際ネットワークの会員のうち、約半数は日本人なのです。
意外に思われるかもしれませんが、日本は(とりわけ草の根レベルの)平和博物館が世界的にも多く、平和に関心の高い人も多いのです。
先の戦争の記憶が大きく影響しているのでしょうが、このことは、日本国内でももっと知られて良いと思います。

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昼食の後は、日本から来た合唱団が、池辺晋一郎作曲の合唱曲「悪魔の飽食」と東日本大震災のチャリティーソング「花は咲く」を歌いました。

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その後は、基調講演として、ピーター・ヴァン・デン・デュンゲン代表や、小溝泰義広島平和文化財団理事長、安斎育郎立命館国際平和ミュージアム名誉館長らが講演を行いました。

基調講演では、ピーター・ヴァン・デン・デュンゲン代表が、1924年に『戦争に反対する戦争!』を出版し、翌年に反戦博物館を創設したドイツのエルンスト・フリードリッヒについて語った際に、反戦博物館の支持者の一人としてケーテ・コルヴィッツの名をあげ、その重要なコレクターとして沖縄の佐喜眞美術館を紹介していました。

また、元APジャーナリストでピューリッツァー賞受賞者のチャールズ・ハンリー氏が、「朝鮮戦争の民間人虐殺はノグンリの他にもあったが、米国政府は“誤報”として片づけていた。平和博物館は、報道機関が見識ある報道を行うように励まし、情報を与える活動するべき」と語っていたことも印象に残りました。
政府にとって都合の悪い情報を“誤報”として蓋をしてしまうのは、世界のどこにでも起こりうる問題なのだと思います。

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続いて、2会場に分かれたパネル・セッションでは、「グローバル時代における平和ミュージアムの教育的使命」と「平和博物館の教育的役割」のセッションに参加しましたが、スケジュールがかなり遅れていたため、どちらも短い時間で内容を深めるまではいかなかったのが残念でした。

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歓迎の夕食会では、ナンゲ伝統音楽演奏が行われました。
非常に濃密なスケジュールで少々疲れましたが、セッションなどのあいだに、国内外のさまざまな方と挨拶や対話ができたのは、とても貴重な機会でした。
会議はこれから3日間ほど続き、明日の分科会では丸木美術館の発表も行います。
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